そうだとすれば、ライオンを観察している人が「ライオンがシマウマを襲う」という意味のことを日本語あるいはケニヤ語で言う場合、それは事実を言っているのではなく、「ライオンがシマウマを襲うがごとく追跡しているように見える」という擬人化を使った比喩を言っている、ということになる。
しかしここで問題なのは、このような隠喩話法を使う場合、比喩を言っている場合も、直接の事実を言っている場合も、言葉としては同じ、ということです。「ライオンがシマウマを襲う」と言う人が、自分は実は「ライオンがシマウマを襲うがごとく追跡しているように見える」という比喩を言っているのだ、と自覚しているでしょうか?ふつう、していませんね。ただ単に、ライオンがシマウマを襲っているから「ライオンがシマウマを襲う」と言っているのだ、と思っているでしょう。
この点を、拙稿としては問題にしたい。比喩(メタファー)とは何か?つまり、たとえ比喩を語る場面であっても、話し手はいつのまにか事実を語っているつもりになっているし、聞き手もまた事実を聞いているという気になっている。これは、どういうことなのか、という問題です。
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