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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自分で自分を観察して

2009年10月22日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

他人がこの私を見ていたら、どう思うか? 朝は忙しいのにわざわざ豆をひいてコーヒーを沸かしている。一口飲んで「おいしい」とつぶやいてにやりと笑う。こいつはよほどコーヒーが飲みたかったらしい、と思いますね。このことは、自分で自分を観察しても同じでしょう。私はよほどコーヒーが飲みたかったらしい、と自分自身、思う。

コーヒーを飲みたかったからコーヒーを沸かしたのか? それとも、コーヒーを沸かしたからコーヒーを飲みたかったのだと思ったのか?

拝読ブログ:県民性チェック~大阪編~

拝読ブログ:NO.845

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なぜおいしいのか?

2009年10月21日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Fuseli_madkate

すこしでも眼を覚ますために、コーヒーを沸かして飲む。私はコーヒーを飲みたいから豆をひいてコーヒーを沸かすのでしょう。別にコーヒーを沸かさずに、冷蔵庫からアイスティーを出して飲んでもいいわけですが、なぜか、今朝の私はコーヒーを沸かしている。なぜかな?

私の身体が熱いコーヒーを欲しているらしい。その証拠に、一口含んだとき、思わず「おいしい」とつぶやいてしまった。特にこの淹れたての、スターバックスのエスプレッソはおいしい。しかし、いまなぜそれがおいしいのか? そこは答えられない。身体がそれをおいしいと感じるから、というだけ。

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私の身体の状態

2009年10月20日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

朝起きると眠い。身体がだるい。夕べ夜更かしが過ぎた。ベッドから出たくない。この気持ち。この怠惰な気持ちはどこから来るのか?

やはりこれは身体が眠っているからでしょう。身体が眠っているのに、予定時間にあわせて起きだしててきぱきと動こうとするとこうなる。心では、早く身支度しなくては、と思っていても着替える気分にならない。身体が抵抗している。自律神経系が眠っているわけです。

こういう場面、私の気持ちは私の身体の状態から来ている、と分かる。

拝読ブログ:1018日 夜勤

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推定・予測が自分?

2009年10月19日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Fuseli_ladymacbeth

拙稿がこれから使おうとしている仮説によれば、私が私の気持ちや私の考えだと思っているものは、身体周辺の環境から受ける視覚、聴覚、嗅覚など五感のほか身体内部から感じ取る体性感覚、内臓感覚などからくる信号を受け取り、それらに対応して記憶として保存されている過去の学習経験やシミュレーションが再生され、それらから自分の身体の現在の状態を推定し、またこれからの動きを予測して、それを自分の気持ちとして受け取っているものである、となります。

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私自身に固有の気持ち?

2009年10月18日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

もしそうでないとすれば、身体内外の環境や過去の経験記憶だけではなく、なにか現在の私自身に固有の気持ちや考えというものがまずあって、それが私の行動を引き起こしている、ということになる。どちらが正しいのか?いや、どちらが正しいかという問題ではなくて、これはものの見方の違いなのかもしれない。

もしそれが、ものの見方の違いであるならば、拙稿としては簡単に分かりやすいほうに理論を作ってみたい(こういう考え方を哲学では「オッカムのかみそり」などという)。自動的に身体は動く、とするほうが、私自身に固有の気持ち、という概念は使わないですむので理論は簡単になる。たしかに私たちの直感では、私自身に固有の気持ちや考え、というものがあるような気もしますが、その問題は後で考えることにして、ここでは仮に、そういうものはない、として話を進めてみましょう。

拝読ブログ:identity:独自性、固有性

拝読ブログ:読終:生命とは何か シュレディンガー著

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