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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言語⇔準備動作

2009年10月27日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Fuseli_nightmare2

これらの運動準備動作は、その運動概念である「検索する」という言葉を思い浮かべると同時か、あるいは準備動作が先かもしれない。「Yをする」という言葉を思い浮かべるよりも先に、身体がYをする準備動作に入っている。私たちの身体はそう作られているようです。この見方を素直に整理すれば、「Yをする」という言葉を思い浮かべるということは身体がYをする準備動作に入っているということである、といえる拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか?」

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行動の発生

2009年10月26日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

まずテレビのニュースで新大臣の名前を聞いた。聞いたことがある政治家だけれどよく知らない。名前は新聞で見たような気がする。それ以外、ほとんど何も知らない。しかし、人と世間話をするとき、あまりにも知らないとつまらないな。ちょっと調べておくか、と考えが発展したわけです。

そのときは、そこにあるパソコンで検索できることを、私は知っている。だから、調べようという気になる。すぐ調べられる手段があるから、調べようと思うのです。大臣の名前を検索しようと思うと同時に、パソコンのインターネットアイコンをチラッと見ている。指がキーボードを打つ構えをしている。「検索」という言葉が頭の中を走ったかどうか分からない。「検索する」という言葉が浮かぶ以前にグーグルのアイコンをクリックしている。

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私の内部過程

2009年10月25日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Fuseli_nightmare

さて、そのニュースで言っている政権交代の組閣で任命されたという新大臣について、私はその名前を聞いたことがあるけれども、どんな人か、ほとんど知らない。その人がどういう人なのか、実はたいして興味もない。しかし友人と会話するとき、その大臣が話題になるかもしれない。皆が興味を持っている人物について何も知らないと話を聞いていてもつまらないかもしれない。それは、すこしいやだな。では、インターネットで調べておくか、と思う。そして、私はパソコンを叩いて検索する。

なぜ、私は検索したのか?

私の内部でどういうことが起こって検索という行動が開始されたのか?

その過程を調べて見ましょう。

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身体がそう動いた

2009年10月24日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

さて、コーヒーを飲みながら、テレビをつける。リモコンでチャンネルを変える。アナウンサーがニュースを語っている。そのチャンネルでニュースを聞く。この場合、なぜ、私はこのニュースのチャンネルを選んだのか? 

ニュースが聞きたかったから? いや、今の場合、それほどの積極性はなかった。コーヒーを飲む間、目と耳が暇だったからテレビをつけたのでしょう。アナウンサーの声が気に入ったから? そうかもしれない。私が、このニュースのチャンネルを選んだ理由を自分で憶測してみると、私はそのアナウンサーの声が気に入ったからなのかもしれない。しかしその証拠はない。そういう自覚の記憶はない。もしそうだとしても、なぜそうであるのか、私には分かりません。身体がそう動いた、というしかない。

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自分というこの人間

2009年10月23日 | xx1私はなぜ自分の気持ちが分かるのか

Fuseli_nighthag

起き上がってもまだ眠い。そういう状況で、身体が反射的に動いていつのまにかコーヒーを沸かそうとしている。朝の状況では、よくあることです。家族はまだ起きてこないし、毎朝している同じことの繰り返しだし、という状況だと、こういう行動はほとんど無意識で行われている。こういう場合、私は、コーヒーを飲みたかったからコーヒーを沸かしたのか? それとも、コーヒーを沸かしたからコーヒーを飲みたかったのだと思ったのか? という問題です。

拙稿で採用している先の仮説によれば、私が私の気持ちだと思っているものは、自分で自分の身体の動きに関する情報を感じ取って、その情報からその心を推定して分かるものである。そうであるとすれば、私は、コーヒーを沸かした自分の身体の動きを感じ取って、そこから自分というこの人間はコーヒーを飲みたかったのだと推定したわけです。つまり、他人がコーヒーを沸かして飲もうとしているのを私が見て、その情報からその人はコーヒーを飲みたいのだと私が思うのと同じ仕組みで、私は自分という人間の気持ちを推定する、ということです。

拝読ブログ:314回 他人の不幸は蜜の味

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