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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

貧乏なロボット

2008年06月20日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_sleeping_cupid

さて、言語とは何か?

人間は言葉を話す。人間は「貧乏なので私は悲しい」とか言う。人間がそれを言うのを聞くと、私たちはなぜか悲しくなる。

猿は言葉を話しません。猿は「貧乏なので私は悲しい」とか言いません。ロボットはそういうセリフを言うことがある(最近のロボット研究はすばらしい。たとえば理研動的認知行動研究チーム)。そう言うように設計すれば、そういう音声を出す。人間そっくりの声を作ることもできる。でもロボットが、「貧乏なので私は悲しい」と聞こえる音声を出力しても、それを聞いた人間にはちっとも悲しい気持ちが起こらない。無意味だとしか感じられません。

猿もロボットも、「貧乏なので私は悲しい」とか思っているはずがないからです。

耳にはまったく同じ音に聞こえても、だれが言うかで意味が違う。

言葉は物質現象ですか? 

いや、それは情報でしょう、という答が返ってきそうです。でも、情報が情報となるように音声に意味を与えるのは話し手の人間です。話し手の人体の内部でその音声がある意味を持っている、と聞き手が思うから言葉が情報となる。私たちがそう思うから、言葉は意味をもつ。ロボットが「貧乏なので私は悲しい」と聞こえる音を出しても、私たちは悲しい気持ちになれない。ロボットの外見が人間そっくりで、私たちがそれを人間だと見間違えたときは、その音声を聞いて、悲しい気持ちになる。ところが、それが実は人間ではなくてロボットだと分かったとたん、同じ音声を聞いても、悲しい気持ちはなくなってしまう。

拝読サイト:私は悲しい、、、。

拝読サイト:嗚呼、絶対彼氏  最終回

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言語現象は切り離せない

2008年06月19日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

ところで、その大きな手ごわい問題は後回しにするとして、言語現象の解明だけを切り離して取り組めないだろうか? 取り組みやすい部分だけを全体から切り離せれば、その狭い部分に研究を集中できる。むずかしい大きな問題からやさしい小さな問題だけをうまく切り離して研究できれば、手ごろな科学が作れる。たしかに、これができるケースであれば、だれかがすぐやってしまいます。しかし言語の問題に関しては、残念ながら、これは無理なようです。なるほど、言語はコンパクトに閉じた有限形式を持っている。けれどもそれは、研究者をあざむく美しい衣装です。衣の下は地面深く根が生えていて、それを掘り出そうとしても、地下のどこまでも続いていく。

つまり、結局は脳全体、あるいは人間の身体全体を細胞レベルにまで微視的に理解したときに、一気にすべてが分かる、という予想が正しいようです。まことに残念ながら、脳全体にわたる微視的な、神経細胞の単位での信号処理機構としての脳機能の解明は、数十年後あるいはさらに先の世代の革新的な計測手段が開発されるのを待つことになるでしょう(二〇〇七年 川人光男「脳を創ることで脳を知る」から操作的神経科学へ 。(拙稿の予想では)拙稿が今提唱している哲学の科学は、やっとそのころから、実際的に発展することになるわけです。

拝読サイト:デジタル主義だからこそ

拝読サイト: ソニーCSLの考える「21世紀の社会と科学・技術」~サイボーグ化する地球、オープンファーマなど

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身体運動制御系→言語

2008年06月18日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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人間の言語のモデルを、力学系のモデルを統計的に学習する機能を持つニューラルネットワークであるとする見地から、非言語動物の猿などと人間の連続性を強調する理論がある(二〇〇〇年 川人光男、銅谷賢治、春野雅彦『ヒト知性の計算神経科学 言語に迫るための条件』)。私たちの脳には、人類特有の離散的なシンボル操作である言語機構があるが、その下部構造として、もっとずっと基礎的な、猿などにも共通のニューラルネットワーク構造による運動形成/認知機構がある、という理論は、拙稿の見解と同じです。また、動物の非言語的な思考システムが思考の本体部分であって、人間特有といわれる言語的な思考システムは、それに付け足された擬似思考だ、という現代哲学の見解もあります(二〇〇九年〈出版予定〉  ピーター・カルーサーズ無脊椎動物の概念が一般化制約に対決する』。これも拙稿の見解に近い。

要するに、(拙稿の見解によれば)言語自体の問題はそれほど大きな問題ではない。それよりも言語を支えている土台と思われる構造、つまり、多くの動物に共通な、身体運動の制御機構の解明が大きな手ごわい問題です。世界を学習し現実を作り出す存在感を形成して、感覚・運動信号全体を制御するシステム。その具体的な設計図を解明することが重要です。

拝読サイト:ヒトに心はありますか、再び

拝読サイト:心理学

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言葉を使う哺乳類

2008年06月17日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

動物は言葉を話さない。コンピュータも言葉を話さない。人間だけが言葉を話す。そして自分について語る。世界について語る。とても大事なことを語る。それは人間だけです。だから、神秘的な感じがする。崇高な感じもします。もしかしたら、言葉というものは神様が人間にだけ与えてくれた宝物なのではないか、という気もしてきますね。

でもただの動物である人間がする言語という行動が、他の動物の行動と全然違う、神秘的なものでなければならない理由があるのでしょうか? 仲間と協力して花から蜜を集めるミツバチの社会行動などに比べて、人類の言語活動だけが、特に崇高だったり、神秘的だったりするはずはありませんね。

動物の行動は脳の仕組みによって決まってくる。哺乳類の脳の仕組みは数億年をかけて徐々に進化してきた。言葉を使う人類の脳も、言葉を使わない古い祖先の脳から徐々に進化したはずです。そうであれば、人間の言語活動を担う脳の神経回路は、非言語動物であったはずの(猿人、原人など)人類の祖先が言語以外の用途に使っていた神経回路から発展したものということになる。そしてその発展部分は、たかだか数十万年と見積もられる言語使用の歴史の短さから考えると、ごく小さなものであるはずです。

拝読サイト:ミツバチ&スズメバチ 

拝読サイト:あうすとらろぴてくす、②

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科学が空虚に思えて悩む

2008年06月16日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Caravaggio_cardsharps

私たちはなぜ、内面の感情や哲学的な思索を、言葉でうまく言い表せないのか? 言い表し方が下手だからなのか? 言語技術を磨けば、何とかなるのか? それとも、原理的にできないことだからなのか? 

 ここの問題をはっきり見極めないと、いつまでも混乱した哲学が続きます(現代哲学における理論展開については、たとえば、二〇〇八年〈出版予定〉  ピーター・カルーサーズ認知における言語』)。哲学者でない人も、いわゆる哲学的問題、などになまじ興味を持ってしまうと、これに巻き込まれて、人生の神秘に悩む。正しい人生とは何か? などという問題ですね。特に、文学や倫理に感受性のある人たちが巻き込まれてしまうようです。また、世界はなぜあるのか? あるいは、意識とは何か? などという科学にかかわる謎もある。科学者も、こういう哲学の謎に巻き込まれていくと、自分たちの科学が空虚に思えて悩む。これらの問題は、言葉でうまく言い表せない。言葉を使えば使うほど、混乱してくる。言語のこの問題は、人間だれにとっても深刻なのです。

拝読サイト:ゼロアカ道場第三回課題

拝読サイト:人はいいヤツでも悪いヤツでも関係なく突然死ぬ 

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