goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

この世で最大の幸福

2008年04月10日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

小さな問題で成功することよりも大きな一番上位の問題で成功するように行動せよ、というようなことを、昔の処世訓も現代のハウツー成功指南書も教えていますね。教えられるまでもなく、私たちは、そのことが分かっている。上位の問題を、それが上位であると思えば、それの成功を目指して行動する。私たちの身体は、そうできているわけです。

たしかに、自分が料理をおいしく味わえるかどうか、ということよりも、取引相手がご機嫌になって、スムーズに契約の話が進むことのほうがずっと大事でしょう。だから、自分がおいしいと感じるかよりも、相手がおいしいと思っているかどうかに神経を使わないといけません。そういう考えで仕事をしないと、成功も出世もおぼつかない。

そもそも、ビジネスの相手と商談するということが、今ここに自分がいる目的だと分かっているならば、自分が今感じている料理の味だけで幸せを感じるのはおかしいわけです。上位の目的をもって行動しているときは、下位の問題に関する幸福は軽視される。しかし上位の目的、たとえば、食事の相手との付き合いを深めるとか、などがないときは、今食べている料理の味がこの世で最大の幸福を与える場合もある。同じ人が同じ料理を食べていても、その人が何を目的にしているかで、幸福感は全然違う。料理についてだけ注目して、その味を経験することが幸福かどうかを論じても、あまり意味はない。

拝読サイト:現代日本の美的アイテム

拝読サイト:ココ、バット。

コメント

一番上位の問題

2008年04月09日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

Boucher_madame_de_pompadour2 人生の成功が大事だと思えば、出世と収入がありがたい。仕事の勝負に生きている、と思えば、ビジネスの成果が一番うれしい。しかし、そのときそのときの快不快に身をゆだねる、という生き方もある。それでいくと、おいしい食事が一番重要です。一方、人間身体が一番大事、という考えも正しそうです。そうなると、奥歯が治ったことが一番ラッキー、ということですね。

歯の具合とか、今食べている料理の味とかの問題は、ビジネスの成功に対して小さな問題です。下位の問題だといえる。どうでもいいこと、関係ない問題、といえる。ビジネスの成功という大きな上位の問題がうまくいってこそ、大きな幸福が手に入る。個人にとって一番上位の問題が自分の人生だとすれば、その成功が一番大きな幸福となる。

拝読サイト:入学式前日。

拝読サイト:働くということ。

コメント

いろいろなレベルでの幸福

2008年04月08日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

ビジネスマンA氏が、取引先の代表と会食しています。会話はなごやかに進んでいく。この調子で契約がうまくいくと、とてもラッキーです。ここまでくれば、たぶん大丈夫でしょう。そうなれば、ビジネスとして、今期最大の成果があげられる。うまくすれば、ひとつ出世できるし、年収もかなり増える。間違いなくラッキーです。それでA氏は幸福を感じている。

相手は同年輩の感じのいい紳士です。教養深く、趣味の話をしても思わず引き込まれる。会話が楽しい。そのことでもA氏は幸福を感じている。

料理は和食ですが、さすが一流の料理人の仕事はすばらしい。口に運ぶごとに最高の味わいがある。ここでもA氏は幸福感を味わう。

奥歯をかみ締めると昨日歯医者で治療した歯の具合はよいようです。このことでもA氏は幸福を感じている。

いろいろなレベルでA氏は幸福を感じている。どれが本当の幸福なのか?

拝読サイト:「今夜は最高!」と言わせたい 心に響く「接待」の名店

拝読サイト:裏「マーフィーの法則」的中!

コメント

限界が見えない

2008年04月07日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

Bou_pomp3 狩猟採集時代の競争と違って、現代の、世界全体が透明に見渡せるグローバル競争の中で、トップの勝者になるのは容易ではありません。実際、ふつう、なれるわけはない。どの辺にたどり着いたとしても中途半端な感じになる。自分はちゃんとゲームに勝っているのか。趣味の世界ではなく、実人生における競争で、いちおう自分は成功しているのか。私たちはいつも気にしている。しかし、現代社会の中で、自分はいったい勝っているほうなのか、成功しているほうなのか、それはどうやって見極めるのか、どうしても分からない感じがある。

よく分からないけれども、まあまあだと思えばいいのかな、という気にもなる。しかし、まだまだ、という感じもする。そう思うと、安穏とこうしていてはいけない、ということになります。ところが、実際こういう努力をすれば大丈夫ということが、はっきりしているわけではない。昔は、それぞれ、こういう立場の人はこういう努力をすればよい、ということは割合はっきりしていた。同時に、ある程度以上努力しても幸福になれない、という限界もよく見えていた。現代は、そうではありません。いつでも、もっと幸福になれるような気がする。けれども、そのために何をすればよいのかが分からない。そこに、私たち現代人が、いつまでたっても幸福になれない理由がある。

拝読サイト:パーキンソンの法則

拝読サイト:人間と文化

コメント

身分制度は壊れていく

2008年04月06日 | x6私はなぜ幸福になれないのか

確かに、実人生のゲームで勝たなければしかたがない。私たちの身体は、気楽な趣味だけの生活に生きるようには進化していません。現実世界での実人生の成功を求めて、競争に全力を尽くすような身体に作られている。そういう身体を持った人類が生き残って私たちの祖先になった。

実人生での勝負にある程度の割り切りを持たなければ、私たちは、趣味の世界を楽しむことはできない。強制的に休暇を取らされてしまう場合などに、意外と趣味を楽しめたりする。しかし現代人は、なかなか休暇を取る気になりません。

狩猟採集の時代には、肉眼で見渡せる範囲の小さな世界の中で、人間は全力を尽くして競争していた。農耕が発展して歴史時代になると、身分制度ができた。身分制度では、自由がない分、活動力が余って趣味をする余裕が生まれます。しかし、趣味を楽しむには適しているかもしれないが、実人生での競争に全力を尽くしにくい身分制度のシステムは、人々に嫌われて、結局は壊れていった。現代は、グローバリゼーションの世となり、再び、競争に全力を尽くしやすいシステムが実現してきている。しかし、私たち現代人はなかなか幸福になれない。

拝読サイト:メルヘン紀行

拝読サイト:珠玉の言葉、

コメント