goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

幸福の自己再帰性

2008年04月20日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

幸福とは何でしょうか? アンケートをとるときの選択肢としては、家族、お金、結婚、出世、成功、勝利、裕福、栄誉、尊敬、安心、安全、健康・・・ いろいろなキーワードがあげられそうです。

幸福は目に見えない。ですから、幸福というのは脳の中に生ずるひとつの錯覚です。目に見える物質世界には幸福はありません。幸福は物質ではなくて目に見えないものなので、他人どうしが同じものを感じながらしっかり共感するのはむずかしい。

例外的には、分かりやすい幸福というものもある。蚊に刺された腕の赤い斑点を見せて、それを掻きながら、「痒いところを掻くと幸せ!」と言えば、その幸福は聞き手にも共感されるでしょう。その共感が、その幸福の意味です。そのほかの幸福も、それを感じている人を見ている人が、共感をはっきり感じられるときは、確かにそこに存在する。幸福とはお金や地位そのものでもなく、状況そのものでもなく、それらの状況にある人が感じているらしいことを、目や耳で観察して想像する観察者の脳の状態にある。特に、自分の状態を観察している場合、観察者は、自分を観察することで、他人から見た自分の幸福を、あるいは不幸を、感じることができる。

拝読サイト:隔靴掻痒

拝読サイト:GNPよりGNH(国民総幸福量)

コメント

集団 vs. 個人

2008年04月19日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_venus_urbino しかしこれは実は、人類史上、つい最近あらわれてきた行動様式です。日本でも、個人の幸福の話が問題になるようになったのは、たかだかこの百年のことです。それまでは、人間にとって自分個人の幸福はあまり問題ではなかった。関心がそこまでいかなかった。自分が属している集団、大家族、氏族、一族郎党、の幸福が問題だった。自分の属する集団が生き延びられなければ、個人の存在などはない。まず、集団の生存、それが問題なく確保された段階にいたって、集団内部の過酷な支配体制に対する疑念がでてくる。そして自由が希求される。革命内戦など大騒動が終わって、ようやく個人の自由が当たり前の時代になる。そしてはじめて、さて個人の幸福とは何か、という問題がでてくる。

集団全体の生存があって、その上に、集団内の自由があり、さらにその上に、個人の幸福がある、という構造になっている。それなのに今は、自分個人の幸福以外興味がない、という人がとても多い。自分ひとりだけ成功するよりも仲間と仲良く暮らすことが一番幸せ、などと言うと、主体性がないとか、個人が確立していない、などと叱られてしまいます。

拝読サイト:テレビを見ました

拝読サイト:少子化対策について

コメント (1)

日本国憲法第十三条

2008年04月18日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

日本国憲法第十三条には 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と書いてある。生命、自由および幸福追求が人間にとって一番大事だ、と憲法は言っている。そういえばあの頃は、あの世界大戦が終わった二十世紀の中ごろ、日本国憲法が書かれた頃は、世界中の知識人の関心は、個人、自由、幸福、権利、というような言葉の中にあった。

実際、とりあえず生命と自由に対する脅威への対応に全力を傾ける必要がない(現代の欧米、日本などの)文明国の人々は、個人としての幸福を追求することに相当のエネルギーを傾けている。

拝読サイト:憲法13条!!

拝読サイト:幸福追求権

コメント

原始時代の人生

2008年04月17日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

Tiziano_venus_2  原始時代の人間が、人生の目的について深く悩んだとは思えません。今晩の食料が足りないとか、夜中にたき火が消えてしまって狼に襲われるのではないかとかの悩みに忙しくて、人生について考えることはなかったはずです。飢餓の心配がなく夜は安心して眠れる生活になって、はじめて人間は人生について考えるようになった。

もちろん現代でも、今週中に子供の手術代を稼ぎ出さなければならない孤独なシングルマザーにとっては、人生の目的などは何の意味もない。人生の幸福について考えることができる人生は、それだけでもうかなり幸福な人生なのです。多くの人がこういう人生を送ることができるようになったのは、人類の歴史でもつい最近のことです。

拝読サイト:ネアンデルタール人はしゃべった?化石から喉頭模型を作成

拝読サイト:美しい日本、由緒正しい日本人はどこへ

コメント

動物生?

2008年04月16日 | x7私はなぜ幸福になれるのか

人生の成功を達成し、幸福を手に入れることが、人生の目的なのでしょうか? だれもが、そう思うならば、これが正しい答えといってよいでしょう。

「人生の目的は、幸福になることだ」

こう答えればよいとすれば、これは簡単でよい。中学生の男子にも女子にも、使える答えです。さて、それでは、これが正しいかどうか、それを調べる必要がありそうです。

人生の目的は、幸福になることなのか? そうなのか、そうでないのか、どうなのか、と言う前に、なぜ、私たちは、幸福になることが大事だと、思うのでしょうか? 拙稿は、この辺の考え方そのものに興味がある。

なぜ、人間は、人生において幸福になることが大事だと思うのか? 自分の人生の成功というものを大事だと思うのか? なぜ、そういう脳の働きがあるのでしょうか? なぜ、そういう機能が進化したのでしょうか? 他の動物には自分の人生(動物生?)を考える能力がないのに、なぜ人類だけにそういう機能があるのでしょうか?

拝読サイト:ポジティブな名言

拝読サイト:人間を幸福にしない日本というシステム(2回目)

コメント