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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

念力で自分の身体が動く?

2007年03月06日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena31 目の前に見えるこの物質世界が客観的に存在していて、その中にある人体としてが存在していて、私は私の考えで私の身体を動かしていて、言葉をしゃべり、したいことをしている。私たちはそう思い込んでいます。筆者も、もちろん、そう感じています。誰もこのことを不思議なこととは思っていません。しかし、実は、こういうことは科学で得られる知識とはまったく矛盾しています。

たとえば、「私は私の考えで私の身体を動かしている」ということは、私の念力が私の身体を動かしているということですが、現代科学の知識によれば、念力などというものは物質現象としては存在しません。物質世界に存在しないものが物質を動かすことはできません。これは現代科学が間違っていて、念力が正しいのでしょうか?将来、念力は科学に含まれるのでしょうか?

そんなことは、まずないでしょう。これからも科学は進歩して、物質の世界像は改訂されていくでしょうが、それは私たちの錯覚が正しいことを科学が認めてくれる方向には行きません。科学の歴史は、それをはっきり示しています。(ただし、現代の科学のアプローチで、この意識・意思問題が解けることもないでしょう。それには、現代科学が一皮むける必要がある、つまり哲学の科学が必要だ、というのが拙稿のメインテーマですが、その中身はだんだんと述べていきます)

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神秘の存在は存在の神秘か

2007年03月05日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

魔物が目に見えないように、人の命、人の心、人と人との結びつき、私、私の人生あるいは私の幸福、そういうものも目に見えず物質で示すことができません。魔物や竜や天狗や精霊や霊魂や座敷わらし、そういう目に見えない存在感は、中世の人々にはしっかりと感じられたのに、現代の私たちには、まったく感じられなくなっているのです。中世までの人々は、眠っているときに見たでさえも、この世のどこかで実際に起こっている事実、あるいは将来起こるべき事実を見たのだと思い込んでいました。現代人は、夢がタイムマシーンだとか、どこでもドアだとか、なにかの現実の一部だ、とは、まず思わないでしょう。

世界、命、生、死、心、自分、私、幸福・・・。さらに言えば、存在、認識、思考、欲望、意思、意識・・・。哲学が基礎にしている、そういうものたちは本当にあるのでしょうか? 私たちが、まじめに大事な話をするときに使われる、こういう言葉たち。こういう言葉を使って、自分たちの一番大事な思いを語り合おうとする私たち現代人。小学生のいじめとか、自殺とか殺人が報道されると、偉い人たちが競ってその大切さを説こうとする「命」や「心」や「自分」や「幸福」。そういうものたちが、実は、この世に存在しないものだとしたら、子供に聞かせる話もできない、新聞も書けない、テレビの討論会もできない。国会討論も裁判もできない。私たちはとても困ってしまいます。そういう神秘的に思えるものがなくなってしまったら、哲学者が困る。宗教家も困ります。しかしそれ以前に、私たちだれもが、真剣な議論もできず、すっかり困ってしまうのです。

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サンタクロースとダークマターの違い

2007年03月04日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

天狗もそれです。長老の話を聞くと、天狗は間違いなく森の奥にいるとしか思えません。しかし科学は天狗の存在を説明できない。でも、だから、天狗はいるのだとはいえません。科学はサンタクロースの存在も説明できない。だから、科学は万能ではない、とはいえます。ただし、科学が万能でないからといって、それを理由にサンタクロースが存在することを主張するのもおかしいでしょう。

一方、現代科学は宇宙のダークマターの正体を説明できません。しかし、ダークマターは、科学者が力学方程式を計算した結果、そういうことを言い出したから問題になったのであって、一般の人々が、昔から、それがあるような気がしていたわけではありません。昔から人間が、この世にあるような気がしている物事と、実際に科学が発展して現実に発見される事実とは、だいぶ違うのが歴史上の通例です。

昔から人間が、この世にあると思い込んでいる物事・・・たとえば、この世界、この現実の世界。確かに私たちは、これをはっきり感じていますが、そもそも、そんなものは、実は、存在しないかも知れません。命、心、サンタクロース・・・  そういうようなものも、存在しないのかも知れません。自分? そんなものも、実は存在しないのではありませんか?

大昔の人々が魔物に取り付かれることを防ぐために身体中に刺青をする必要があったように、現代の私たちは、現実の世界、自分自身、自分の人生、自分の損得、自分の幸不幸、という物事の存在感を確かなものとして感じ、その上で他人と比べて、自分は幸福なのだと思い込む必要があるのかもしれません。

拝読ブログ:ダークマター 宇宙の神秘

拝読ブログ:「くりからもんもん」て何?

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科学では説明できないものがあるか?

2007年03月03日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena30 しかしながら、その社会システムの根底を作っている言葉はいつの時代でも、人々の錯覚の共有にしか根拠がありません。それはその時代の間、強い存在感を伴って、誰にも共感されるでしょう。しかしある時代に機能した錯覚体系、バーチャルな意味のネットワークは、次の時代には錯覚と幻影を語った古い神話やファンタジーのように、あるいは使えなくなった過去の紙幣のように、人々に違和感を与え、かび臭い匂いを発しながら存在感を失っていくしかないのです。

現代の私たちが社会生活の基盤として使いこなしている言葉、人生を考えるときの基本的な言葉と思っている重要な言葉たち、たとえば、世界、命、心、私、幸福・・・。主体性を持った私たち個人の存在感を表わす言葉の体系です。それらは永久に使われる言葉なのでしょうか? それらは何百年後の時代にも、しっかりと存在するものなのでしょうか? 

これらも錯覚の体系であるからには、次の時代には古代の迷信や呪術信仰のように消えていくものなのでしょう。かつて哲学の基礎として使われてきた神秘的な言葉の体系は、現在ほとんど、現代科学とは整合性が取れず、すでにほころびを見せています。

科学では説明できないものがこの世にはある、とよく言われます。そう言われれば、確かにそんな気もする。しかし、ここまで精密に物質現象を説明できるようになった現代科学がいまだに説明できない神秘的なものが、本当にこの世に存在するのでしょうか。それらの神秘は遠い将来、科学で説明されるのでしょうか。そうかもしれませんが、それは、今私たちがあるのではないかと想像しているものとは全然違う事実でしょう。存在することが説明できないものは実は、もともと存在しないから説明できないだけなのではないでしょうか? 私たちは、科学では説明できないものが、いくつもあるような気がする。しかしそれは、あるような気がするだけで、あるのとは違うのではないですか? 

拝読ブログ:999%は仮説 思いこみで判断しないための考え方

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哲学という手品

2007年03月02日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

天才的な哲学者が現れたとしても、その才能は古い錯覚を批判し,新しい錯覚を発明して、それで人々を説得すること、つまり古い曖昧な言葉を言い換えて、新しい曖昧な言葉で世界を語りなおすことに使われるしかないでしょう。

それはそれで、時代に合わせて社会を運営するためには大事な才能です。人々が、周囲の仲間との毎日の会話を通して自分が日々なすべき仕事をはっきりと理解し、それぞれの持ち場を懸命に守っていくようにしむけなければなりません(また、そうなることが、支配体制にとってはぜひ必要なことです)。都合のよいことに、人間の脳神経系は、なにか大きな神秘的で尊厳のありそうなものにひれ伏し、つき従おうとする傾向があります。この傾向を利用すれば、偶然見つけた神秘的な現象をうまく組み立てて、神聖な物語に作り上げ、人々に受け入れさせることができます。

極端に言えば、手品でもいい。日食のときに、深刻そうな顔をして、わけの分からない呪文を唱えれば、太陽はこの世に戻ってきます。その手品を、手品師自身が心から不思議だと思ってしまうと、哲学になります。ふつう、この手品には日食のような自然現象ではなくて、言葉が使われます。言語技術による手品ですね。「死とは何か?」、「人生の目的は何か?」などと叫んでみる。そのときに、手品師自身が自分の作った手品の不思議さに魅入られてしまうと、本物の哲学が始まるわけです。その場合、その不思議さが人々を神秘感に誘い込んでしまうと、社会の役に立つことになります。つまり、言語技術の手品師は職業としてなりたつ。少なくとも、支配体制から給料をもらえます。

そういう社会現象として、優秀な言語技術者たちは、あるときは神官、あるときは官僚、あるときは学者、教育者、マスコミに姿を変えて、この世の神聖な、尊厳のある、権威ある仕掛けを再生産していきます。これらの優秀な人々の努力によって、時代にあわせて哲学は改訂され、新しい哲学によって改めて明瞭になった言葉を使いこなして、新しい宗教、新しい神話、新しい道徳、新しい法律が作られてきたのです。

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