目の前に見えるこの物質世界が客観的に存在していて、その中にある人体として私が存在していて、私は私の考えで私の身体を動かしていて、言葉をしゃべり、したいことをしている。私たちはそう思い込んでいます。筆者も、もちろん、そう感じています。誰もこのことを不思議なこととは思っていません。しかし、実は、こういうことは科学で得られる知識とはまったく矛盾しています。
たとえば、「私は私の考えで私の身体を動かしている」ということは、私の念力が私の身体を動かしているということですが、現代科学の知識によれば、念力などというものは物質現象としては存在しません。物質世界に存在しないものが物質を動かすことはできません。これは現代科学が間違っていて、念力が正しいのでしょうか?将来、念力は科学に含まれるのでしょうか?
そんなことは、まずないでしょう。これからも科学は進歩して、物質の世界像は改訂されていくでしょうが、それは私たちの錯覚が正しいことを科学が認めてくれる方向には行きません。科学の歴史は、それをはっきり示しています。(ただし、現代の科学のアプローチで、この意識・意思問題が解けることもないでしょう。それには、現代科学が一皮むける必要がある、つまり哲学の科学が必要だ、というのが拙稿のメインテーマですが、その中身はだんだんと述べていきます)
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