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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言葉は真理を語れない

2007年03月01日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

なぜかというと、人間の言葉というものは、目に見えないものを語るという仕事に適していないからです。言葉はもともと意味のない音の羅列です。人間は、仲間どうしでの言葉が繰り返し使われる場面の経験を積み重ねることから、感情を共感し、運動を共鳴することによって、意味を学習するのです。話し手の表情、声色、前後の状況、仲間の聞き手の反応などを繰り返して感じ、自分でも真似ることで感情を共感し、少しずつ意味がおぼろげに分かってくるものです。

話し手と聞き手が、目の前の物質を見ながら、触りながら、それについて話すときに限って、言葉の意味は明確になれるのです。つまり言葉は、複数の人間が同時に目で見えて手で触れる物質世界のことしか、正確には語れないものなのです。自分の内部でしか感じられない、他人の目には見えない、錯覚の存在について正確に語ろうとすればするほど、おかしくなっていくしかないのです。

人間が仲間どうし協力して、世界の法則を利用して、生存繁殖するのに役立つ仕組みだったから、言語は発達したのです。生存繁殖以外の目的に役立つような機能は、むしろ、言語が生まれる瞬間から切り捨てられていったでしょう。余計な機能を持たず、生存繁殖することだけに役立つ実用的な言語操作機構を持った人類だけが生き残って、世界中に伝えたものが、現在私たちが使っている言語なのですから。そうして使われて伝えられてきた言語が、哲学とか、この世の深遠な真理などを解明する機能を持っているはずがありません。こういう仕組みで造られた人間の言語を使う以上、誰が語っても、目の前の物質世界と関係がない、実用の役に立たない深遠な哲学的真理などを正確に語ることはできないのです。

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