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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

連続した空間は実在しない

2007年03月16日 | 4世界という錯覚を共有する動物

Hatena33 私たちの身体が置かれているこの物質世界は、無限の連続空間として四方八方へ広がっていて、時間は無限の過去から未来へ連続している、かのように感じられます。この目の前に生き生きと見える世界は、このまま私たちの身体の外に無限に広がって連続して実在している、と直感では感じるのです。いつも私たちの脳は、この空間と時間の存在を取り込んで直感で感じているのだろう、と思えるわけです。

しかし、それは錯覚です。人間の脳が一瞬一瞬に取り込んでいる情報は、視野の真ん中にある小さな空間の映像など、少量の情報だけです。車のヘッドライトが照らすのは、前方のごく狭い空間だけですが、ドライバーはいつも明るい道路を見て運転しています。現在の一瞬に、視線の先にある、つまり動作の対象にするその一点の情報が十分あれば、空間全体が見えているように感じられるわけです。

時間についても同じ。私たちは、自分が過去の出来事すべてを把握しているつもりでいますが、その瞬間に思い出しているのは過去の一時点だけです。思い出せることはいつでも思い出せますから、私たちは自分がすべてを見通していると感じられるのです。逆に言えば、視線の運動や、注意の動きに対応して適切な情報が得られるとき、私たちは、大きな連続した全体を見ていると感じるわけです。

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見える部分だけ存在する?

2007年03月15日 | 4世界という錯覚を共有する動物

インターネットで感じられる物事の物理的実体は、非常に多数の、通信回線で連結されたコンピュータ群から送られてくるビット信号です。端末のパソコンに呼び出された瞬間に、どこかのサーバーが必要な情報を私たちの目の前のパソコンへ送ってくるわけです。この経験から私たちは、パソコンを通して世界中の文献や写真やビデオを見ているように感じるわけです。しかしその実体は電子部品の荷電・磁化状態でしかありませんね。

同様に、私たちは、脳神経系と物質世界とのすばやい情報のやり取りのおかげで、空間、時間のどこでも、いつでも、注目する一点の情報を呼び出せます。この経験から、私たちは、自分の身体の周りに無限の時間と空間と物質が広がっていると感じるわけです。言い換えれば、世界は目を開けたときに見える部分だけ、あるいは脳の認知神経回路が活動した瞬間、認知した情報の分だけ存在する、ともいえる。そういうことだとしても、私たちが感じる世界は何の変わりもないわけです。

薄くなった私たちの後頭部は存在しない。ズボンの中の脚も存在しない。スカートから見える部分だけ脚は存在する、といってもよいのです。

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実在の時空が実はバーチャル?

2007年03月14日 | 4世界という錯覚を共有する動物

このように人間の脳は、仲間の人間集団の運動に共鳴する神経回路を働かすことで、世界があるように共感するのです。つまり、すべての人間が目で見て手で触って感じられる物質で構成された意識できる物質世界全体が、こうして存在するわけです。それがあまりにも広大で、複雑で、同時に整然とした法則にしたがっているように感じられるために、この世界は本当に実在しているように思えます。だがそれも、人間の脳のこのような機構が、仲間と錯覚を共有して、世界を上手に感知できるように進化した結果です。

目の前に見えるこの世界の空間は、三次元で広大な宇宙にまで連続して広がっているように感じられます。今感じている時間は、無限の過去から無限の未来へ、一本線で続いているように感じられます。しかし、それも実は、今注目している一点のほかは、はっきり意識できるものではありませんね。私たちが感じる無限の空間と時間は、ここにいま感じられる目の前の小さな空間と時間を、想像でバーチャルに拡大したものでしょう?

私たちが、実在の時空と思っているこれ(読者諸姉諸兄がいま感じていらっしゃる身の周りの空間と時間)は、実はバーチャルなもので、あたかもインターネットで世界中の物事が見えると思い込んでいるようなものなのではないでしょうか? 

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ラーメンはなぜ存在するのか

2007年03月13日 | 4世界という錯覚を共有する動物

物質の存在感は、すぐに仲間と共有できる言葉を生み出します。物にはすぐに名がつけられていくわけです。物質は、人間に感知される(私がラーメンを見る)と同時に、脳の中でカテゴリに分けられ(ラーメンを食べ物と思う)、概念として認知されて(ラーメンをラーメンだと思う)、名がつけられて(ラーメンをラーメンと呼ぶ)いきます。その結果、脳内に存在感がはっきりできあがり、その物質(ラーメン)がそこにあると思えるわけです。ちなみに、人間でない動物でも、猿などは最後の「名をつける」はできませんが、だいたい人間と同じ神経機構で概念と存在感を作れるようです。

ところで、このラーメンを、だれも食べ物と思わず、だれもラーメンと思わず、だれもラーメンと呼ばなかったら、果たして、このラーメンは存在するでしょうか? たとえば、泥だらけの地面に落ちて、踏みにじられて、泥と見分けがつかなくなってしまったラーメンは、それがちゃんと存在するというべきかどうか、自信がなくなりませんか? (猿などはラーメンと認識して食べるかもしれませんが)

このことは、私たちが感じる物質の存在感が、仲間と共鳴して集団として共感する神経機構を使って感じ取っていることの現れです。物質を指し示す言語ができてしまうと、幼児は言語を学習することで、物質の経験を固定していきます(たとえば、二〇〇四年 ヘスポス、スペルク『言語の概念的前兆』)。仲間と共鳴できる身体運動は、それを表す言葉で固定され、物質ごとのカテゴリも、またそれぞれの言葉で固定されて行きます。物質の存在感が仲間と共有できている場合、それは「ある」という言葉によって固定され、私たちは、「その物がそこにある」という言葉の形で存在感を共有し、それぞれの記憶に取り込むわけです。この仕組みにより、仮想の集団運動が個々の人間の脳内で動き出して、仮想の他人の視線人指し指が目の前の物質を指し示すことで、人間にとってその物が存在することになる。私たちは毎日、目を開けている間中ずっと、視覚聴覚から送られてくる信号を脳で情報処理して、身の周りの物質を存在させるために、高速で計算をし続けています。まるで、一秒も休まないスーパーコンピュータみたいですね。

それらは、すべて脳の中の神経回路が、無意識に自動的に行う生理現象です。哲学では古来さまざまな存在論が唱えられていますが(哲学の考え方については後で少し詳しく述べます)、それとは別に、ふつうに日常会話で、「ある」、「存在する」と言うときは、上に述べたような神経活動が対応しています。私たちが日常に使う存在という言葉には、それ以上の神秘的な意味などはありません。

拝読ブログ:守道 良順の哲学研究

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人類特有の脳機構

2007年03月12日 | 4世界という錯覚を共有する動物

ここまでは、獲物を狩ったりする動物ならば、それなりに脳内に物質の存在感を作り出す機構を持っている、といえるでしょう。哺乳類は、この物質の存在感という神経活動を、さらに脳内に記録し、必要なときにそれを再生することができます。物事を記憶するわけです。類人猿の場合、特に人間は、さらに仲間の人間が感じる存在感を共感することができます。つまり、仲間の人間が、そこにある物質に対して身体運動を加える場面を見て、その物質の存在感を感じることができます。これは、動物に群行動を起こす古い機構から進化したと思われますが、仲間の存在と同時に仲間が運動を加える対象の存在感を捉える類人猿特有、あるいは人類特有、の脳の機構でしょう。

たとえば視線、指などで指し示す場面です。あるいは言葉でその名を言うことで指し示します。あるいはその物質を押したり引いたり、持ち上げたりして、位置や角度をずらす。あるいは変形する。何をどうしてどうするか。お菓子の箱の蓋を開けて中のお菓子をつかみ出して、包装を剥いて食べる。そういう他人の一連の運動の流れとしてお菓子と菓子箱の存在感を自分の記憶として取り込んでいくのです。

こうして、人間は、他人(哲学では他者ともいうが、むしろ仲間の人間、というほうがよい)が物質に加える運動を見て、自動的にそれを自分の運動形成神経回路で再現することによって、物質に加える自分の身体運動を脳内の仮想運動として行い、その神経活動が残す記憶を物質の存在感として感知し、それを記憶し経験として蓄積します。周りに人が見えない場合であっても、自分ひとりの感覚ではなく、そばに仲間がいる場合と同じように、仲間と一体となった人間集団として周りの人々の運動・感覚に共鳴する神経機構を働かすことで、そこにある物質の存在感を感知し、記憶していく仕組みが、人間には備わっています。

特に大事なことは、人間は一人でいるときでも、人間集団の中にいるときとまったく同じように、目の前に見える物質の存在感を集団で共感する神経機構を使って、その物質の存在感を感知しているようです。そこにある物質をだれかが取り上げて一連の動作を加える場面を無意識に想像して、その物質の存在感を作り上げるわけです。

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