人間が仲間の人間の目に見えない内面の変化を感じ取る能力は、改めて考えてみれば、驚異的といえますね。プロの漫画家は、それを絵として表すことができます。簡単な線画で、同時に何人もの性格、表情を描き分けていきます。そのキャラクターを描いているとき、漫画家はその人の内部に入り込んでいるのでしょう。マンガは絵が付いているから人の内面を描きやすい。小説などは、その点、マンガにかなわないところがあります。たとえば、心理描写は、一人称を使ったり三人称を使ったり、三人称でも一視点とか多視点とかいろいろの形式で書かれますが、読者には、その形式が見えてしまいます。しかしマンガの場合は、顔を描くことで、さりげなく複数の人の内面に入っていける。映画も似ていますね。カメラは人物の外面を撮っているから、三人称描写ともいえるが、観客はその主人公になりきっています。このことは、人間の(憑依を使った)相互理解が、言語以前のものだということを示しているといえます。
漫画家は、プロだからリアルに何人ものキャラクターの絵が描ける。しかしプロの漫画家ではないふつうの私たちでも、絵は描けませんが、同時に何人もの他人の内部に瞬時に入り込んで,楽々とその行動を理解しているのです。そうでなければ、人間としてこのように複雑な社会生活はできません。人類の神経系の高性能なこの機能は、たぶん、私たちの先祖がジャングルで群れ生活をしているころから進化してきた機構なのでしょう。
視線、表情など他人の運動に誘発されて、自分の脳内の運動形成神経回路が、無意識のうちに自動的に共鳴して連動するのです。それを他人の「心」と感じる。その物体が本当に人間であるかどうか、は問題ではありません。その物の見かけが、その動きが、いかにも人間らしければそれで十分です。映画でも良いし、アニメでもよい。
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