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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実の内部に自我はない

2012年12月20日 | xxx2私はなぜ現実の中に生きるのか

Collier6_hudson たとえば文学者、あるいは科学者が文章、あるいは科学の方程式で、自分の内面を表現できないことにいらだちを感じても、それは文学が拙いからではなく、科学が未発達であるからでもありません。あるいは哲学者が、意識とは何か、自分とは何か、と煩悶したところで(二〇〇六年 ニコラス・ハンフリー赤を見る:意識の研究[邦訳: ニコラス ハンフリー (著) 赤を見る?感覚の進化と意識の存在理由 ] 』)それが宗教や哲学の深淵であるということでもありません。単に、人類の言語が内面を表現する道具として進化したものではなかった、というだけでしょう。言語が土台とする現実はすべてを包含する必要がなかった。それ故に、現実の内部に私たちの内面あるいは意識あるいは自我というものはありません。

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