マシンガンの瞬間的破壊的な個人力。スマートフォンの広域的継続的な個人力。あるいはマイカーあるいはパーソナルコンピュータが備えるように見える個人力の自由な行使感覚。いずれも現代人が信じ込みたがり、依存したがる個人力の象徴ではありますが、現実にその実力は思うほどではない。それらは、現代の社会構造の中で、多数の個人力を実際に強化する道具となるよりもむしろ互いに競争し牽制しあって少数の顕著な個人力の突出を抑制し、結果的に非個人的な組織力を強化する、というアイロニカルな社会的機能を持つ、ともいえます。

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