脳のこういう仕組みも原始時代には人々の団結に役立って便利でよいことだった。天狗を恐れて一族が団結できれば、それは生存繁殖に有利だったのです。
しかし、これは科学の時代の真理の探究には向かない脳の機構でしょう。科学者たちに向かって、いつまでも天狗を信じさせようとする哲学を主張するのも、いかがなものでしょうか。ここにも哲学が見捨てられていく危険がでてくるわけです。
これらの危険に気づかないまま、命とか心とか、自分とか社会とか、愛とか死とか、感情に訴える神秘的で深遠に思える人生上の問題を、言葉だけを使って語りつくそうとするから、哲学は間違えていくのです。