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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自分が生きているという錯覚

2007年07月10日 | 7命はなぜあるのか

Waterhouse8naiad 胸に手を当てて、心臓の鼓動を感じながら、深く考えて見ましょう。心臓は脈動しているけれども、エアコンのモータだって回転し続けている。私には命があって、エアコンにはないのか? 自分の命って何だ? 他人に命があることはよく分かる。でも、自分に命があるかどうか、自分が生きているのかどうか、目をつぶって、正直に言えば、よく分からないでしょう? 自分の命、それは自分の外観が他人から見てどう見えるか、他人の視線を感じることから想像して自分の姿を思い描いているところから来る錯覚に過ぎない。頭に手を当てて思い出してみましょう。ずっと幼いころ、だれかに教えられて、自分は生きているんだ、と思うようになったのではないですか。思い出せないでしょうけれど、それはだれかに繰り返し教えられて、そう思うようになった、という気がしませんか? だから、自分が生きている、ということは、(他人にとっては事実でしょうが)自分にとっては錯覚かもしれない。素直にいえば、それはまったく錯覚のように思えますね。実際、それは存在しない錯覚のことではないでしょうか。

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