哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

私の命は私の中にない

2007年07月09日 | 7命はなぜあるのか

 Waterhouse7adonis 閑話休題、小学生対策はさておき、話を戻しましょう。

ふつう私たちはどう思っているか。人は死ぬ。人が死ぬと命はなくなる。赤ん坊が生まれると、それは新しく命を作り出す。人の命は流れの中の泡のように現れ消えていく。生まれ、育ち、子を産み育てて、死んでいく。親から子へ綿々と受け継がれるものとしての命。そういう命の流れの存在を感じ、神秘と感じ、大事に守ってきたのが人類です。

そういう命が自分の身体の中にもある。自分はいつか死んでしまうだろうけれども、それまでの間、ずっと自分のものとして命は、ある。そういう考えを、人は持つようになりました。

しかし、もう一度考えてみましょう。私たちはなぜ、命は一番大事なものだと思っているのか。「自分の命」と話し手が言うとき、もともとの言葉の働きとしては、それは聞き手が感じる話し手の人体の外見的な動き(息をしているとか)に対応するものを指している。もともとこの言葉は、それしか表わしていません。それは聞き手の無意識な脳の機構の活動としてある。話し手は「自分の命」と言うことで、聞き手の脳内のその活動を期待する。もともとはそういう単純なことです。話し手の中に、なにか立派な神秘的なものがあるわけではありません。独り言で言うときも、日記に書くときも、哲学論文に書くときも、同じ。話し手(または書き手)は、聞き手を想像して、聞き手が見ているはずの、物質としての話し手の身体の状態を言っているだけのことです。

つまり、私の命は、実は私の中にはない。それを思っている他の人間の中にある。それを思っている他の人間の中の私の中にある、と私が思うものなのです。

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1 コメント

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命について (シュレディンガーディアン)
2017-09-17 11:13:23
むしろ命というのは宇宙の中で根源的な存在だと思います。

命は微細な振動するコヒーレントなエネルギーです。

生命は目に見えない命の働きによって秩序と統一性を保っていられるのではないでしょうか。
死んで命がなくなればエントロピーの増大によって秩序を喪失するわけです。

心理学者の諸富祥彦さんがこんなことを書いてます。

私たちはふつう、私が生きている、私がいのちを持っていると思っているけれど、そうではない。むしろ、この大宇宙全体に浸透している“見えない働き” =大いなる〝いのちの働き”そのものがまずあって、その働きが、今ここでは“この私”という形をとっている。

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