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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

錯覚は人間の条件

2008年11月14日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

拙稿では、これらを錯覚であるとする(拙稿第4章「世界という錯覚を共有する動物」)。これらは、たしかに、物質として実体がない、という意味で錯覚といわざるを得ない。ふつう私たちが、あるものを錯覚と呼ぶときは否定的な意味で言う。「それはただの錯覚に過ぎない」とか、「錯覚にだまされてはだめだ」などと言う。しかし、拙稿で筆者は、実体がない錯覚はだめだ、とか、だまされてはいけない、とか言いたいわけではありません。

この点に関しては、拙稿の見解は、まったく逆です。私たちは、それら有益な錯覚を共感し言葉に置き換えて使いこなすことで、それらを私たちの間で、しっかりと存在させることができる。そして、そうすることで人間は互いに結びつき、社会生活がなりたっている。逆に言えば、そのようにして社会を維持することでしか、私たち人間は生きていけない動物です。

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