なぜ、世界の中で西洋文明だけが一人勝ちしていくのでしょうか。明治維新いらい、西洋と東洋の間を行ったり来たりしながら合いの子のように生きてきた日本人は、ずっとこの謎に悩んできましたが、いまだにすっきりした答えは見つかっていないようです。
たしかに、科学や医学、産業技術のような実用的な知識ばかりでなく、法律、社会制度、金融、経済政策、思想、芸術、エンターテインメントなど現代の文明的なものは、残念ながら東洋からは少なく、多くが西洋から発信されています。つまり結局は、各国語に翻訳された西洋の言葉を使って現代文明は表現され使いこなされているのです。それだけ西洋の考え方、その根底を作る西洋哲学が世界中の人々に信頼されているのです。欧米から湧き出て地球全体に拡散するその流れは、現在、グローバリゼーションとも呼ばれています。
ところが、大成功したはずの西洋哲学が、二百年くらい前から、だんだんとおかしくなってきました。西洋哲学自身、百年ほど前からこの自らのおかしさに気づき始めたようです。現在、現代哲学や脳科学の研究者たちから、いろいろな形で近代西洋哲学への懐疑論が提起されています。しかし私たち現代人は、いまさら後戻りはできない。その哲学の上に築かれてしまった現代文明の重みのために、もう修正は難しいでしょう。
少し話が大仰になってきた様に思ったので、コメントさせて頂きます。
西洋哲学は、戦争や植民地支配にそこまで大きく関与していたでしょうか?
即ち、西洋哲学が間違えずに発展したならば、そういうことは生じなかったでしょうか?
本来、倫理を含む既成概念を消滅させるべきものである哲学が、もし真っ当に発展したならば、寧ろ更に悪化した結果を招いたのでは、とも、思います。