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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

人類の生活機能システム

2010年06月19日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

食糧がつねに多く確保できるように縄張りを守り、さらに隣接する集団との戦いに勝って拡大しなければならない。子供とその母親を守り食料を獲得してくる強い男が必要です。それは孤立した男ではなく、団結して縄張りを守れる実用的な強さを持つ男たちの集団でしょう。兄弟や一族の仲間と緊密に協力し一緒に集団で行動する男が、脳が大きな子供が成長するためには必要なのです。つまり人類は、緊密に協力する社会集団を作って縄張りを守り恒常的に高栄養価の食料を獲得し続けなければ、脳が大きくて発育が遅い子供を産み育てられない動物となっています。

子供の父親をはじめ、連携する男たちを含む一族郎党のメンバーが、人生保持機構を働かせて互いの過去の経験を共有し、自分の人生の将来を予測する。仲間の各人がそれぞれ自分にとって大事な人生を持っていることを確認しあう。だれもが自分の人生を懸命に生きている。自分も同じように自分の人生を生きている。さらに生まれてくる子供や家族あるいは一族郎党、自分たち全体の人生を支えるためにいま何をしなければならないかが分かっている。人生保持機構は、生まれてくる子供、母親、男、女、青年、老人、各世代それぞれの人生上の役割を明らかにすることで、役割分担のある協力体制を作り上げる。これによって、家族あるいは一族郎党の共同生活は、生産性の高い、安全で高効率の生活機能を持つシステムになります。

拝読ブログ:ドッグヴィル

拝読ブログ:「ハーバード白熱教室 NO10 (第11回 愛国心と正義 どちらが大切?)」について

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脳が大きい子

2010年06月18日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

Rubens_perseusandandromeda

ここで気をつけるべきことは、この話が人類に限って成り立つということです。人間以外の動物は、むしろ交尾した後、オスは消えてしまうことがふつうです。つまり他のメスと交尾する機会を求めて遠くに行ってしまい、戻ってこない。それでも残されたメスは容易に数匹の子を出産して育て上げる。というか生まれた子供は短い期間で簡単に一人前になる。人間はそれができない。人間の子は脳が大きいため生育がきわめて遅く、しかも脳の成長のために栄養価の高い食物を多く必要とする。そのため生後数年以上にわたって、母親ばかりでなく、父親やその他の家族による手厚い養育を必要とする身体になっているからです。

実際、生後一年もの間、走ることもできず、生後数年たっても自分でまったく餌を採れないような動物は人類以外ありません。長期にわたる母親の手厚い世話を受ける必要があります。栄養価の高い果実や肉などの食料を採集しながらの育児は母親一人ではできない。栄養価の高いおいしい食べ物はだれもが欲しい物です。競争相手に奪われてはならず、むしろ奪い取らなければならない。天候不全などで環境が悪化したときでも人間の子供は高い栄養価を必要とする。

拝読ブログ:女王アリの交尾を見ながら男の在り方について考えた

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滅亡する社会

2010年06月17日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

キリギリス的なこの社会の人々は、資源を節約したり予備に蓄積したりする気持ちがないから、災害があったり環境が変わったりすると飢え死にしてしまう可能性が大きい。寒い地方に住んでいれば冬も越せないでしょう。また助け合って子供を養育しないので、十分に発育した子孫を多く残せない。環境が悪くならないとしても、結局、人口は増えず、災害があれば人口は激減して、最後は滅亡すると思われます。

一方、人生保持機構を持つ人々は、将来の自分の運命を予測することができる。予測して、そうなりたいとか、ああはなりたくないとかいうイメージを作れる。それによって今日の行動の動機にする。つまり、こういう人々は(拙稿の見解では)、将来に備えて倹約しながら懸命に働いて家族を支える動機を持っています。将来の予測ができるので、環境の変化にも耐えられる。こういう人々は、そうでない人々に比べて、より確実に存続して、少しずつ人口を増やしていくでしょう。

拝読ブログ:誕生

拝読ブログ:LED環境からの生存者

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人間以外の動物

2010年06月16日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

Rubens_panandsyrinx

ここで仮に何らかの理由で男が女のもとに残ったとしても、この社会の男はほとんど役に立ちません。なぜならば、バイオリンには強い興味があるが過去にも未来にも興味がない男は、懸命に働いて家族を食べさせていくとか、子供の成長を楽しみにして子育てするとか、節約して資産を形成するとかいうような行為をする動機がないからです。このことは女たちについても同様で、この人たちはバイオリンには興味があるが、倹約しながら懸命に働く動機は持ちません。

今日の今、楽しいほうがよい。身体が楽なほうがよい。目の前にある物資はためらいなく浪費してしまう一方、将来必要なものを手に入れるためにこつこつと努力することがない。つまり将来のために働いて貯蓄するということをしません。そうする理由がないからです。将来の自分と家族のイメージを持たないからです。

貯蓄も投資も融資もないから銀行が成り立ちません。宵越しの金は持たないから、ためらいなく使います。けれども、お金が欲しくて働くということはしない。だれもがそうです。つまりこの社会ではお金を出しても、だれも動いてくれない。お金の価値がないから、物やサービスが手に入りません。マーケットが成り立たない。取引が成り立たない。産業も成り立ちそうにありませんね。猫に小判。人間以外の動物を見れば、まさにその通りでしょう。

拝読ブログ:芸術家の人生と下流社会 | 考えるための書評集

拝読ブログ:はんぺんではありません

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過去がない人々

2010年06月15日 | xx2私にはなぜ私の人生があるのか

残された女は、母親や姉妹の助けを借りて出産し、子を育てるしかない。しかしこの社会では妊婦の母親や姉妹はあまり役に立たない。なぜならば、妊婦の母親もバイオリンには興味があるが過去のことには興味がない。娘を自分が産み育てたという過去の記憶がいくらか残っているとしても、それらは現実感がない。自分が祖母だから孫の将来のために子育てに協力するという考えはなくて、ただ一緒に住む若い女の出産育児を手伝うというくらいの考えしかない。男はいなくなってしまうし、母親や姉妹も同居人として親切にしてくれる程度しか頼りにならないとすれば、子を産んだ女は子供を守りながら十分な栄養を与えることはむずかしいでしょう。

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