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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

理性の先験条件

2012年01月08日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Velazq1 原始の時代から人類は、空間を実在するものとして感じ取り、その中で互いの身体の位置と動きを認め合い、互いの位置と動きの過去を記憶し未来を予測し合うことで、狩猟採集生活において協力して社会を作ることができたと思われます。

現代では、空間を測定し数値で表し、それを用いて科学理論を作り実証することができます。現代の科学は全体の統一性と汎用性が高いことから、神話経典や俗説などに比べて(科学リテラシーがある人々にとっては)理論の実在感は極度に高くなっています。そのため、科学に組み込まれている現代の空間概念はまさに理性の先験条件(一七八七年 イマニュエル・カント純粋理性批判 』第二版既出)とみなさざるを得ないものとなっています。私たち現代人において、科学と整合するこの現実空間の存在感は過去の人々が感じ取っていたよりも、さらにずっと堅固なものとなっていると思われます。

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客観的な身体

2012年01月07日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

いずれにせよ、私たちは視覚や触覚で感じ取れる身の周りの空間を実在する実体として認知することができます。また私たちは言葉で語られる目の前に見えない空間をも想像することができ、それらについて自分以外の人たちがどう感じ取っているかも感じ取ることができます。そして人とその空間認識を前提としていろいろな物事を語り合うことができます。

そうであるから、空間は客観的なものとして実在し、私たちはその内部を動いていく自分たちの身体をまた客観的なものとして認めることができます。

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空間認知の共有機構

2012年01月06日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Diego_velazquez3 このように人も自分も皆が同じ空間を感じ取っていることが感じられるようになってはじめて、空間は不動でここにあって間違いなくその中に自分の身体がある、と感じられるようになります。

そしてはじめて人間は社会生活を営めるようになります。人と人がかかわり合い、語り合うための基礎として、明らかに言語の発生よりも先に、先験的に空間のありようを感じ取る神経機構はできていたはずです。この空間認知機構はかなり古くから哺乳類共通の神経回路として進化したようですが、人類の祖先においては、仲間の身体の位置関係を表現できることから空間認知の共有機構が進化し、それが言語の発生を導く役割を果たした可能性があります。

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だれもが見ることができる

2012年01月05日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

空間というものは自分だけが分かればよいというものではありません。人が感じ取っている空間を感じ取ることが重要です。そうすることで、空間は客観的な現実となります(拙稿6章「この世はなぜあるのか?」)。

いま目に見えている空間が現実の空間であるということは、目に見えるそこの床や壁が不動の大地の上に置かれていることであり、この風景はこの風景として、自分ばかりでなく仲間の人間のだれもが見ることができ、その中を動き回ることができるものだということです。つまりこの空間は実像として実在するということです。

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人の目に映る光景

2012年01月04日 | xx7私はなぜ空間を語るのか

Cristo_crucificado しかし改めて振り返ってみれば、実際に目に映る光景とは違った視点で自分の姿が見える情景を感じ取っているという、この画家のような空間の感じ取り方は、通常、私たちだれもが日常的に使っている空間認識ではないでしょうか?

人の目で見て自分がどう見えるか?それを知るには、自分の目に実際に映る光景を感じ取っているだけではだめです。自分の姿は自分の目には映りません。人の目に映る光景を想像することが重要です。人の目に映る光景には自分の姿が入っている。自分の顔や表情が見えているはずです。不動の空間の中に置かれている人物像として自分の姿がある。自分が置かれているそういう空間、そういう視点からの情景をいつも忘れずに感じ取っていることが重要です。せまい社会の中で上手に生きるためには特に重要でしょう。

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