goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

謎の整理

2010年09月14日 | xx3人類最大の謎

Leighton_fs_light_of_the_harem_2 さて、ここまでの検討で、本章で取り上げた問題の周辺がだいたい整理できました。

存在の謎(世界と私が同時に存在することの矛盾)は、人類のふつうの生活において、それほど実害があるものではない。さらにいえば、それが謎であり続けることで人類に多少の利益をもたらすものでもある。そのためそれが謎であり続けるほうが有利であったから、謎であり続けた。つまり、人類の進化の過程で、この謎を消滅させるように神経系が変化することができなかった、またはその必要もなかった、ということでしょう。

拙稿本章は、存在の謎はなぜ謎であるのか、という設問を立てて議論を進めてきましたが、ここで、一応の結論に到達しました。

つまり、存在の謎は、それが謎であることによって人類に害をもたらすことがほとんどなく、逆にいくらかの利益をもたらすという働きを持つがゆえに、いまも謎であり続けているのです。

拝読ブログ:鳥類の協同繁殖 ‐ 血縁淘汰と環境制限からの進化の可能性

拝読ブログ:進化論はなぜ哲学の問題になるのか」の感想2:メタファーとメトニミー

コメント

謎の放置→自意識の起源

2010年09月13日 | xx3人類最大の謎

ちなみにこの謎の放置は、逆説的に、ある面では人類にラッキーに働いた、と見ることもできます。たとえば、人類の進化が放置してきたこの謎のおかげで、人間には神秘感を伴った自意識が生まれ、自分の人生を重要だと思う感情が生まれ、そこから自尊心や帰属意識や倫理観が作られたと考えられます。その結果、それぞれの個人が仲間の中での自分、社会の中での自分というものを論理的に操作できるようになり、人間関係を安定させ、義理人情や契約や商取引を成立させ、社会構造をより強固にすることに役立った。歴史時代になると、論理的な言語使用が発達して世界の存在の謎が自覚されるようになり、それが神話を作り宗教や哲学や倫理の発達を促し、それらが結局は科学や経済や法律や国家を作り出したことで、それなりに現代の社会を支えている、と見ることができます。

拝読ブログ:日本の大学だと、7万人くらい教授はいるけど、ノーベル賞取った人はひとりもいない

拝読ブログ:九鬼一人の哲学日記: 講義案

コメント

二つの存在モード

2010年09月12日 | xx3人類最大の謎

Leighton_fs_idyll

私たち人類の身体は、仲間の視座から見えるであろう物事だけをはっきりと現実の存在として認め、それ以外に感じたことを抑えて、仲間の視座から見て現実と感じられる物事にだけ強く反応して動くようにできている。この仕組みで(拙稿の見解では)、私たちは自分の内面とは無関係に存在すると感じられる客観的世界を感じとることができる(拙稿6章「この世はなぜあるのか?」拙稿13章「存在はなぜ存在するのか?」)。こうして仲間と同じように「世界がはっきりとここにある」と感じることができれば、私たちは仲間と共通の現実世界を共有してうまく協力できる(拙稿4章「世界という錯覚を共有する動物」)。

一方この仕組みとは別の仕組みとして、人間は仲間の身体の動きを見て、その中に心というものがあると感じる神経機構を持つ(拙稿8章「心はなぜあるのか?」)。その神経機構を働かせて、それを自分の身体に適用することで自分の身体の中にも心があると感じられる。それが自我の存在を作り出す(拙稿12章「私はなぜあるのか?)。その仕組みで「私がはっきりと現実世界の中にいる」と感じることができれば、現実世界の中で私自身の身体をうまくコントロールしてじょうずに生きていくことができる。

二つの仕組みは、それぞれの場面で、私たちが生きていくために便利に働く。それぞれの場面で必要な存在感を作り出す機構です。それぞれの機構がそれぞれの場面で稼動した場合のメリットは十分大きいので、この両方が同時に稼動するというまれな場合において論理的に矛盾が起きることのデメリットは無視してよい。こういう事情で(拙稿の見解では)人類の脳神経系は、存在の謎(世界と私が同時に存在することの矛盾)を作り出し、それを放置し続けるように進化してきた、と推測できます。

拝読ブログ:日曜日をブログ書くのに潰してしまったw 時間の使い方考えないと

拝読ブログ:哲学の実用性

コメント

矛盾残存の原理

2010年09月11日 | xx3人類最大の謎

リンゴの赤さの存在感とA君の心の存在感。この二つが同時に存在することには矛盾がある。しかし矛盾に気づかないか、気づいても無視できれば、私たちの協力はうまくいく。こういう場合、いくつかの存在感の間に、哲学的考察によるいくらかの矛盾があっても、うまく人間どうしの協力が成り立つメリットにくらべれば、そのデメリットは無視できる。人類にとって(拙稿の見解では)、仲間としっかり協力して健康な子孫を育て上げることが重要であって、哲学がうまくいくかどうかはあまり重要ではない。

リンゴの赤さのことでA君と認め合って協力がうまくいけば、それでよい。リンゴの赤さは存在する。A君には心があるということを私とA君の双方が認め合ってA君と通じ合うことで二人の協力がうまくいけば、それでよい。A君の心は存在することになる。リンゴの赤さとA君の心と両方が存在するということが、哲学的に矛盾なく説明できるかどうかは、あまり重要ではない。

人類の生存にとっては、客観的と思える世界がはっきりとここに存在するように思えて、その中にいるように思える人々とそれを共有することで自分たちの心が通じあえるように思えて、かつ実際にその結果、仲間の皆とうまく協力しあって子供を産み家族を養っていければそれでよいのであって、よほどていねいに検討しなければ見つからない哲学的な矛盾などはあってもなくてもかまわないのです。人と通じ合えなければ私たちは生き残れない。哲学がうまく作れなくても生き残れる。

拝読ブログ:「客観性というのはこういうことか」と妙に感心されていた画像

拝読ブログ:夜明けは遅くなった

コメント

心的存在の矛盾

2010年09月10日 | xx3人類最大の謎

Leighton_fs_hercules_wrestling

私は、ここにいるA君がたしかにこのリンゴがとても赤いと感じていると感じとることで目の前のリンゴが間違いなくとても赤い、ということを現実だと感じとるような身体を持っている。と同時に、目の前にいるA君の身体の中にはA君の心が入っていることも現実だと感じる。そのA君の心の中にあるリンゴの赤さを現実と感じる。さらにここにいる私がこのリンゴの赤さや、A君の心を感じている、と思っている。こういう場合、私は、このリンゴの赤さが存在することを信頼できると同時に、A君の心が存在することも信頼できる、と思う。これらの全部が同時に現実だと思う。

しかしここで実は、矛盾がでてくる。拙稿でここまでに述べたように、物質の存在感と心の存在感が同時に成り立つことは矛盾であるということが分かっています(拙稿8章「心はなぜあるのか?」)。

拝読ブログ:シンガポール通信ー虚無の信仰:虚無と無2<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"></shapetype> <stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock><shape id="図_x0020_7" alt="Comments" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_i1025" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata o:title="Comments" src="file:///C:UsersUSERAppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.gif"></imagedata>

拝読ブログ:ネットワークでも遺伝子型と表現型を分けよう

コメント