共に語り合う仲間とともに世界をしっかりと共有している限り、私たちはこの違和感をあまり意識することはない。理論的には矛盾があることを理解しても、それに違和感を感じたり、つらいと感じたりすることはありません。しかしふつうまれにしか起こりませんが、これが身体に響くように感じる場合がある。たとえば共に語り合う仲間がまったくいなくなったとき、自分がこの現実世界の中に存在することの違和感は耐え難いものとなり得る。
だれも私を必要としない。だれも私を見ていない。だれも私の存在に気づかない。私が今ここに生きているということを知っているのは私だけだ。だれもそれを知ってくれない。これからも決してだれにも知られることはない。だれにも知られずに私は死んでいき、その後には何も残せない。それでも私はここにいる。私はこの現実世界の中にいる、という孤独な叫びに私たちは共感できる(拙稿19章「私はここにいる」)。
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