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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言葉の使い方→集団的運動共鳴

2008年10月01日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

「化け物」という言葉の意味は、たとえば、「あいつは化け物だよ、と言って、皆でにやっと笑う」という身体運動が集団的に共鳴することで作られる身体運動‐感覚受容シミュレーションに対応する。つまり、「化け物」という言葉は、何かの物質に関する経験ではなくて、「化け物」と聞いて皆がにやっと笑う、という集団的共鳴運動に関する経験からできている。物質に関する経験ではなくて、言葉に対する集団的運動共鳴の経験が、その言葉に対応する身体運動‐感覚受容シミュレーションの内容です。つまり、こういう場合、話し手と聞き手の脳の内部状態は、どちらも、その言葉に対応して共鳴する身体運動‐感覚受容シミュレーションで表現されている。その意味で、同じ内部状態になっている、といえます。それで、この言葉は通じる。

「化け物」という言葉を聞いた場合、人によって、エイリアンとか、いろいろ化け物的なイメージが頭の中に浮かぶが、ふつう、そのイメージ自体はだれも重要とは思っていなくて、「あいつは化け物だよ、と言って、皆でにやっと笑う」という言葉の使い方についての集団的共鳴運動こそが重要だ、と皆が思っている。言葉を学ぶ子供は、その言葉の使い方に関する集団的運動共鳴を学習することで、その言葉が身につく。そういう言葉の使い方に関する集団的運動共鳴について、皆の脳の内部状態は、ほぼ同じです。この場合、「化け物」と聞いて皆がにやっと笑う、という集団的運動共鳴に「ば・け・も・の」という音節列発音運動が連結した身体運動‐感覚受容シミュレーションが脳内にできている。つまり、「化け物」という言葉を働かせる脳内の物質的実体は、その運動共鳴シミュレーションを表現する神経ネットワークの連結構造である、といえる。

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「言葉の意味」の意味

2008年09月30日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Regnault_genius

化け物はこの世のものではない。だから化け物なのであって、物質世界に属するものではない。つまり、客観的な物質現象ではないから、だれの目にも見えず、もちろん手で触ることはできない。それでは、そういうものは、全然意味がないのか、というと、そんなことはない。その言葉が、広く、人々に使われている以上、意味はある。はっきりした意味がある。それは、この言葉が、どういうふうに使われているか、ということです。それでは、この言葉は、どういうふうに使われているのでしょうか? 

「化け物」という言葉を使って私たちが何かを語るときは、どういう場合なのか? 客観的な物質を指して、それについて語りたい、という場合ではない。たいていは、ただ、うまい具合に仲間どうし会話が続いていけばよい、という場合でしょう。たとえば、「あいつは化け物だよ」と言って、にやっと笑う。それを聞いた仲間は、皆いっせいに、にやっと笑う。だれもがそうするとすれば、それが、「化け物」という言葉の意味といえる。そして、何度も使っているうちに、その言葉はそれなりの存在感がでてきて、だれもが、「化け物」という言葉はどんなとき使うか分かった、と思うようになる。それが、実は、「言葉の意味」というものの意味です。

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化け物を利用する人間

2008年09月29日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

「化け物」と聞いて、子供や若い人はたいてい、かなり視覚的な、不気味で恐ろしいイメージを思い浮かべる。ところが、筆者のような人生経験豊かな老人は、化け物など全然怖くありません。人生には、もっとずっと怖いものがたくさんあることを知ってしまったからです。それでも、「化け物」という言葉は、いろいろな場面で、使うと便利です。子供のころ皆で怖がった記憶があるから、それは、大人になってからも利用できる。まあ、化け物よりもずっと怖いものは、化け物を利用する人間ですね。

「○X国の大統領は化け物だ」と、言ってみましょう。友人と食事しながら言っても、軽い談笑に過ぎない。しかし、新聞に投書したらどうか? 「○X国の大統領は化け物だ。化け物が、ますます化け物らしく振舞って、人を怖がらせているのだ」などと書いて見ましょう。まず、載らないでしょうね。ところが、あなたが日本の総理大臣だったら、投書などしなくても、どこかで軽くしゃべっただけで、すぐ新聞に載るでしょう。載ったら載ったで、政治問題になってしまう。総理大臣でなく、あなたが無名の人だとしても、ブログに書いたりしたら危ない。テロリストが来るかもしれないし、サイバー攻撃を受けるかもしれない。思ったことを言えばよい、というほど、世の中は単純ではありません。それでも、「○X君は化け物だ」と言ってみたい気持ちは、だれにもある。それで、中世の魔女狩りがあり、かつてこの国にもあったし、今でも世界の多くの国でおこなわれている全体主義がある。いまでも、どこでも、小さな職場や学校の小グループでは、しばしばこのような社会現象が起きている。

しかし、こういう場合、「化け物」という言葉の意味は、何なのでしょうか?

拝読ブログ:きつねのよめいり 飯綱権現

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経験できないものについて

2008年09月28日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Langlois_diana

リンゴなど、目に見える物質についての場合は、このように、言葉は、その物質を見たり触ったりした身体的な経験と連結して記憶されます。ところが、身体で経験できないものについても、私たちは言葉で語る。

たとえば話し手が「化け物」と言ったときは、どうなるのでしょうか? 化け物は、目に見えないし、手で触ることもできない。こういう場合、話し手と聞き手の脳の内部状態は、同じになるでしょうか? 

たぶん、だいぶ違うでしょう。

ある人は、SF映画で見たエイリアンの不気味な姿を思い浮かべる。ある人は、四谷怪談のことか、と思う。あるいは、子供のころ、怖い思いをした遊園地のお化け屋敷を思い出す。また、ある人は、アニメのキャラクターを思い出す。

それでも、問題なく会話は続いていくことが多い。いや、むしろ、ふつうの会話などは、そういう場合が多い。イメージが食い違ったままでも、「化け物」について冗談を言い合ったり、意見を交わしたり、脅しあったり、感情表現を見せ合ったり、すれば、それはそれで立派に社交がなりたつからです。

拝読ブログ:R-バカ短編集:袖モギ様

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「り・ん・ご」という条件反射

2008年09月27日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

言語は、(拙稿の見解では)このように集団的運動共鳴が起こった身体運動‐感覚受容シミュレーションに恣意的な音節列記号が連結することで作られる。「リンゴ」という語は、実際のリンゴに関する経験から学習された身体運動‐感覚受容シミュレーションに、音声発音運動の学習により条件反射として結びついた「り・ん・ご」という音節列が組み合わされた神経ネットワークの内部状態(連結部の可塑性)として脳内に記憶されている。「リンゴ」という発音を聞いたとき、あるいは字を読んだとき、私たちの脳内では、その神経ネットワークの連結構造を、学習時とは逆方向にたぐって引き出されるリンゴの身体運動‐感覚受容シミュレーションが浮かび上がる。そのとき、私たちの身体は、自動的に(条件反射として)、リンゴの形や色のイメージを思い浮かべたり、リンゴを食べたくなったりする。

拝読ブログ:「やわらかな遺伝子」

拝読ブログ:本来受動態だった過去分詞が形容詞と見なされることがあるのはなぜ?

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