化け物、といい、命、といい、あるいは、心、欲望、存在、言葉、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・こういう言葉は、拙稿の言葉遣いによれば、みな、錯覚です(拙稿4章 世界という錯覚を共有する動物)。実体がない(どのように実体がないかについては拙稿第一部と第二部を参照)。物質世界の何かを指差して示すことができない。
しかし、だからといって、これらが、全部だめな言葉ということではありません。むしろ、実体がないのにそれだけ強烈に人の心に訴える。存在感の強い言葉たちです。それらは、人の心に訴えるだけの強いイメージを作り出すことができる。それらの錯覚を互いに共有し、互いに通じ合うことで、人間は緊密に協力し、団結して、生存競争を勝ち抜いていくことができた。だから、これらの錯覚は、存在すべきものだから存在している。私たちはこれらの錯覚を表す言葉を使わずに毎日を生きることはできない。人類の生活に必要不可欠のものです。これらの言葉を使いこなすことで、私たち人類は、生き延びて繁栄し、現代文明を作ったのですから。
拝読ブログ:「 心 」 に つ い て
拝読ブログ:『国のない男』