客観的物質世界の側から見れば、人称代名詞や指示代名詞、ダイクシス(参考:金水敏「ダイクシスの諸相」)など、話し手の視点からの視線方向に依存して語りはじめる自己中心的な言葉は、物質的な実体に対応しない錯覚の世界です。私たちが人称代名詞など自己中心的な言葉を使う場合、話し手は聞き手が話し手に憑依することを期待し、話し手の視座から世界を眺めることを期待し、それを強制する。それらの言葉を使うときは、私たちは、そのときの話し手に成り代わって、話し手の立ち位置に立つことで、はじめて、言葉から物質世界への対応を得ることができからです。
「私は、今すぐ、衆議院を解散したい」と言っても、この言葉の話し手が筆者であれば、何も起りませんね。でも総理大臣麻生太郎氏が、国会の場でこれを言ったら、すぐ総選挙になり、全国に投票用紙が配られる。
つまり人称代名詞や指示代名詞など(ダイクシス)は、それを発声する話し手によって意味が変わる。これは自然法則の普遍性からはずれます。客観的物質世界中心の視座から発言される言葉では、だれがその言葉を言ったかによって、自然法則が異なるということはない。ところが、自己中心視座から発言される人称代名詞(あるいはその他のダイクシス)が使われる場合、話し手が誰かによって意味が変わる。話し手だけが世界の中で特殊な原点である、という天動説のような錯覚を作り出している。
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