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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

数学に埋め込まれる科学

2008年08月17日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Chasseriau_die_aus_dem_meer

ニュートンは、物体の運動を予測するとき、それを見てそれに追従しようとする自分の身体の無意識な働きを無視した。自分の身体が答えてくれる直感の予測を受け取らずに、紙に数式を書いて計算した。計算で運動を予測するために、天才は、微分積分を考案し、さらに微分方程式を考案して、物体の運動を計算した。ニュートンの運動の法則と呼ばれる微分方程式(運動方程式)を境界条件に沿ってどんどん積分していくと、世界のすべての物体の変化が予測できる。このとき、初めて人類は、言葉による比喩を使わずに(数学を使って)世界を正確に語り合う方法を手に入れたといえる。現代物理学の相対性力学や量子力学の方程式でもまったく同じ数学構造を(拡張して)使う。こうして、現代科学は擬人化を使わずに、物事を予測できるようになった。

現代科学は、(古代科学や偽科学と違って)物質の中に感情や神秘的な要素を見ることはない。アニミズムは完全に否定される。この思想を敷衍すれば、動物の中にも、さらには人間の中にも(宇宙のどこにも)神秘的あるいは精神的なものはないことになる(拙稿7章「命はなぜあるのか?」拙稿8章「心はなぜあるのか?」)。

拝読ブログ:■「部分と全体」の楽観主義、「拡大解釈」のアファメーション(再掲)

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ニュートンは考えない

2008年08月16日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

ニュートンは物事をそう見なかった。少なくとも、プリンキピア(一六八七年 アイザック・ニュートン自然哲学の数学的原理』既出)を書いているときは、そう見なかった。だから天才なのでしょう。天才でない私たちは、(拙稿の見解では)物事が動き変化するのを見るとき、それを擬人化して「XXが○○をしようとして、そうする」と見ることしかできない。

そうするように、私たちの身体は(無意識の脳は)働いてしまう。物事の意味を考えようとするとき、(拙稿の見解では)私たちは、それを、群棲動物が仲間の身体運動に追従するときに使う運動形成の神経機構を使っている。私たち人間は、そうしないで物事の意味を考えることはできない。逆に言えば、そうすることが、物事の意味を(人間として)考える、ということだといえる。

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モノのタマシイ

2008年08月15日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Chasseriau_peace

私たちは、(拙稿の見解では)物事を見るとき、それがそう動いてそうなっている事を見ると、無意識のうちに身体がそれに共鳴してその運動をなぞる。仲間集団の動きに追従する自分の身体のその仮想運動を、私たちは自分の体感で捉える。そうすることで、すべての物事は、それがそう動くためにその内部に内的な駆動力を持っていると感じられる。その内的な駆動力を、私たちは自分の身体が共鳴する体感で納得している。その体感から、それが現実だ、と直感で感じる。逆に言えば、こうして私たちは、目の前の現実を捉える。私たちの身体はそうできている。そういう身体の仕組みの上に、私たちの現実があり、その上に言語は作られています。

人類の言語は、「XXが○○をする」という形式を持っている。このことは、(拙稿の見解では)私たちが物事を見るとき「XXが○○をしようとして、する」と感じて見ていることを示している。私たちは、XXを擬人化してその内的な駆動力、あるいは感情、またはタマシイ、を感じ取り、(無意識のうちに)擬人化されたXXの感情(タマシイ)が導く運動○○を推測して、その行動を予想しようとする。

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リンゴは落ちる。月は浮かぶ

2008年08月14日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

リンゴは下に落ちるものだから下に落ちる、リンゴは自然に下に落ちようとする気持ち(のようなもの)を持っているから落ちていく、と私たちは素直に思う。つまり、私たちは、リンゴを含めて世の中のあらゆる物事はその内部に何か感情、意欲、意志、意図のような内的要因を持っていてそれに駆動されて動く、と思っている。そう思わなければ、「リンゴが落ちる」という言葉の形は、思い浮かびません。

リンゴが落ちるのを見て、リンゴは落ちようとするから落ちる、と私たちは思う。月が浮かんでいるのを見て、月は落ちようとしないで浮かんでいようとするから浮かんでいる、と思う。(科学者でないふつうの人は)宇宙ステーションの中にリンゴが浮かんでいるのを見て、宇宙では、リンゴは落ちようとしないで浮かんでいようとするものだから、浮かんでいる、と思う。

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ニュートンのリンゴ

2008年08月13日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Chasseriau_dame

ちなみに、リンゴが下に落ちていくのを見て、リンゴが下に落ちていく、と思わなかった人が天才ニュートンだ、ということになっています。私たちふつうの人間は、リンゴが落ちていくのを見て、リンゴが落ちていく、と思う。私たちは、(ちらっとですが)自分がリンゴになって下に落ちていく気持ちになりながら、リンゴの落下運動をながめる。私たちは、月が空に浮かんでいるのを見て、月が浮かんでいる、と思う。そのとき(ちらっとではあるが)、自分が月になって空に浮かんでいる気持ちになりながら、空に浮かんでいる月をながめる。

ニュートンは(たぶん、ちらっとも)そうは思わなかった。リンゴが落ちるのを見て、自分の身体でリンゴの落下運動をなぞらなかった。月が浮かんでいるのを見て、自分の身体で月の浮遊運動をなぞらなかった。だから、ニュートンは天才だった。

地球とリンゴの間には万有引力(重力)が働くことによって、リンゴは地球に向かって加速されていく。地球と月の間にもまったく同じ法則が働くことによって、月は地球に向かって加速される。その法則を運動方程式で書いて(境界条件を与えて)積分すれば、まったく同じ計算方法で、リンゴの運動も、月の運動も、正確に求められる。

ニュートンによれば、すべての物質はその運動方程式の積分計算で予測されるとおり動く(一六八七年 アイザック・ニュートン自然哲学の数学的原理』既出)。一般相対性理論ではこれを拡張して、重力を、アインシュタインの場の方程式が定義する空間のゆがみに埋め込んで表現する。これが科学の見方です。実際、リンゴや月は、科学の法則どおり、これら方程式で予測された軌道に沿って正確に動きます。

現代人はこのことに何の疑いも持たない。しかし実際、目の前にリンゴの落下を目撃するとき、私たちは、直感では、こう思わない。

拝読ブログ:ニュートンのリンゴの木2

拝読ブログ:引っ掛かる

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