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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

分かってはいけない

2008年09月11日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

話というものは、不正確だからいけない、というものではありません。新聞やインターネットなど、速ければいい、という面がある。多少不正確でもよい場合も多い。むしろ不正確なほうがよい、という場合さえあります。しかし、哲学の話などは、不正確で分かりにくいとまずい。分かりにくいということが分かる場合はまだよい。分かりにくいということが分からないで、逆に分かりやすいと誤解する場合など、かなり困ったことになります。うっかり分かってしまってはいけない。それなのに、分かってはいけないということが分からないから困るわけです。

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科学の世界認識

2008年09月10日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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科学者が科学の話をするとき、物質現象を言葉で言い表す。話し手と聞き手が協力して共通の物質世界の法則を理解し、共感して共通の言葉を使う。ただし、科学で使う言葉は、直感で通じるふつうの語彙ではない。人工的に設計された言葉の体系です。実験と観察によって実証できるように厳密に組み上げられている。特に現代物理学は、数学を共通の言葉とすることで、客観的な世界の存在感を確立した。現代科学では、化学は物理学を土台にし、生物学や地学や工学は、物理学と化学を土台として組み上げられている。したがって、現代の自然科学は一貫した世界認識を表現できる。現代科学によるその共通の世界認識を利用して、私たちは互いに協力し、物質現象を上手に操作して現代の技術文明を作り出すことに成功している。携帯電話や再生医療を見れば、現代科学が、物質の操作に関して正確に世界認識を共有できるシステムであることは明らかです。

世間話は直感に頼りきるのに対して、科学は直感を排して組み立てられる、という両極端です。しかし、言語が伝わりやすいと言う点では、両方とも分りやすくできている。分りきった物事を分りきった言い方でつないでいく。そのため、話し手と聞き手が間違いなく共通の世界を共有できる。

ところが、私たちが毎日使っている言葉の中には、世間話や科学と違って、実際は非常に分りにくい言葉が多い。特に、書き言葉に多い。新聞や雑誌や、本や、インターネットに書いてあるものは、しばしば分りにくい。それらはかなり抽象的です。目で見たり手で触ったりできない。物質世界には手がかりがない。目に見えない。微妙な感情、心、などの内的感覚について、自明であるがごとく語っていく。そういう場合、話は急に不正確になる。何を言っているのか、分かりにくい話になっていく。ざっと聞くと簡単に分かりそうな印象を受ける。しかし、ある程度深くなってくると、急に、さっぱり分からなくなる。それが問題です。

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目の前にない物事

2008年09月09日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

さて、私たち人間は、猿など他の動物と違って、目に見えない遠くの物質現象についても語ることができる。この場合、目の前にないものは注目したり指差したりはできないが、言葉を上手に使えば、それに関する仮想運動はかなり正確に伝わる。話し手は目に見えない物事を想像して、それに注目したり指差ししたりする仮想運動を脳内で形成し、それに対応する言葉を発する。聞き手の脳内では、聞いた言葉に共鳴する仮想運動としての注目や指差しが起こることで、目に見えない物質現象をうまく想像できる。こうして言葉を使うことで、だれもが、目の前にない物事についても、同じような経験を思い浮かべることができる。

世間話をするとき、人々は、話し手と聞き手とが共感できる(と双方が思える)単純な感覚、感情(いい天気ですね、とか)を、言葉で言い表すことで、お互いに同じ世界を感じている、と感じる。言語を通じて、お互いの注目と運動の神経活動を、脳から脳へ伝播する。つまり、目の前の物質現象に注目したり、互いに慣れた習慣的運動を繰り返したりすることで、言葉とそれによって伝播される脳内の神経活動とを、ほとんど直感だけを使って、かなり正確に対応させることに成功している。

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世界を共有する指差し

2008年09月08日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Demidoff

さて、話し手は、文法に従って「XXが○○をする」という形式で、主語と述語がそれと分かるように並べることで、世界のある部分への注目と擬人化の仮想運動を伝達します。物事をXXといい、その物事を擬人化してそれがする運動を○○という。それによって、聞き手の脳内に世界の構成とその変化の身体運動‐感覚受容シミュレーションを形成する。つまり、言語は、脳における注目と擬人化の運動形成過程の集団的共鳴現象を利用して、世界の構成と変化の捉え方を人から人へ伝播する。この方法は人間どうしが世界を共有して緻密な協力関係を構成するために役立つ。原始人の集団狩猟採集行動から始まって、私たちの世間話も商談も科学も哲学も小説も、現代社会全体を構成するすべての言語活動は、(拙稿の見解では)この仕組みで成り立っているわけです。

人間どうしが、目の前の物質現象について、互いに指差し、あるいは注目する視線を誘導しあって語り合うとき、この仕組みは間違いなく正確に働く。仲間の身体と物質現象との相互干渉を視覚や聴覚で感知できれば、その物質現象に対応する身体運動の共鳴を起こすことができるからです。実際、言葉を覚え始める生後十数ヶ月の幼児は、手全体を使って盛んに指差しをする。その指差し行動の八割以上は、ママを見上げたり(言葉になっていない)声をかけたりという対人行動を伴っている(一九九九年 デイヴィッド・レヴェンス、ウィリアム・ホプキンス『全手指差し、比較見地からの指差し機能。手全体を突き出すこの指差しで目の前の物を指示する行動は、飼育された猿の多種に観察されることから、人類に限らない霊長類共通の神経機構に基盤を持つ行動だと思われる。

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客観的な存在感⇔存在できる

2008年09月07日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

主語で表される物事の(擬人化された)身体運動は、述語に対応する。(拙稿の見解では)その身体運動は、話し手がその物事に憑依することで話し手の運動形成回路の上に引き起こされる。その運動形成の信号は種々の筋肉緊張や自律神経系の反応(心臓血管、内臓の変化)を引き起こす。さらに、それら筋肉緊張などの身体変化が体性感覚にフィードバックすることで感情回路を駆動する。その感情変化によって、主語で表される物事の意図に起因する因果関係の存在感が生成される。これが、(拙稿の見解では)主語と述語を結ぶ因果関係の基底になっている。この因果関係を言語で表現するに際して、自己中心世界の原点(話し手)の視座からの視線方向を強調する便宜のために、西洋語などの人称変化規則ができたのでしょう。

いずれにせよ、言語は、複数の人間が、音節列による記号化を媒介として、脳神経活動の共鳴を確認することで、物事の変化について客観的な存在感を共有する仕組みです。逆に、この仕掛けによって、世界の物事は、それを感知することによって引き起こされる脳神経活動の共鳴を複数の人間が確認し合い、それに音声を対応させて言葉にすることで、はじめて客観的にしっかりとこの世界に存在できるようになる(拙稿第4章「世界という錯覚を共有する動物」)。

拝読ブログ:近代以前の文字はどう読まれ/見られていたのか?

拝読ブログ:あなたとは違うんです

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