科学者が科学の話をするとき、物質現象を言葉で言い表す。話し手と聞き手が協力して共通の物質世界の法則を理解し、共感して共通の言葉を使う。ただし、科学で使う言葉は、直感で通じるふつうの語彙ではない。人工的に設計された言葉の体系です。実験と観察によって実証できるように厳密に組み上げられている。特に現代物理学は、数学を共通の言葉とすることで、客観的な世界の存在感を確立した。現代科学では、化学は物理学を土台にし、生物学や地学や工学は、物理学と化学を土台として組み上げられている。したがって、現代の自然科学は一貫した世界認識を表現できる。現代科学によるその共通の世界認識を利用して、私たちは互いに協力し、物質現象を上手に操作して現代の技術文明を作り出すことに成功している。携帯電話や再生医療を見れば、現代科学が、物質の操作に関して正確に世界認識を共有できるシステムであることは明らかです。
世間話は直感に頼りきるのに対して、科学は直感を排して組み立てられる、という両極端です。しかし、言語が伝わりやすいと言う点では、両方とも分りやすくできている。分りきった物事を分りきった言い方でつないでいく。そのため、話し手と聞き手が間違いなく共通の世界を共有できる。
ところが、私たちが毎日使っている言葉の中には、世間話や科学と違って、実際は非常に分りにくい言葉が多い。特に、書き言葉に多い。新聞や雑誌や、本や、インターネットに書いてあるものは、しばしば分りにくい。それらはかなり抽象的です。目で見たり手で触ったりできない。物質世界には手がかりがない。目に見えない。微妙な感情、心、などの内的感覚について、自明であるがごとく語っていく。そういう場合、話は急に不正確になる。何を言っているのか、分かりにくい話になっていく。ざっと聞くと簡単に分かりそうな印象を受ける。しかし、ある程度深くなってくると、急に、さっぱり分からなくなる。それが問題です。
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