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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

運動制御の共鳴

2008年09月21日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

ちなみに最近の神経科学における興味深いテーマとして、神経細胞膜電位の脱分極(発火)の時間変化が認知と深い関係にあるらしいという予想(一九九九年 マイケル・デンハム『学習と記憶の動的過程:神経科学からの知見』)が提唱されている。このような予想が正しいとすれば、拙稿のいう集団的運動共鳴が、視覚聴覚信号の処理による他者の運動認知の表現と体性運動感覚信号の処理による自分の運動制御の表現と、それぞれを表現する神経細胞群の発火の時間的空間的干渉あるいは(周波数その他の発火頻度を媒介とする)制御系共鳴を下敷きにしている、と予想したくなります。

あるいは、単に、集団的運動共鳴は通常の運動制御とまったく同じ神経回路が使われているのかもしれない。このあたりの脳内メカニズムをぜひ知りたいと思いますが、現状の脳活動計測技術は、こういうレベルの現象の検知には、精度がまったく足りない。通常の運動制御メカニズムでさえも、神経ネットワークのミクロな作動のレベルで解明されてはいない。したがって、現時点では運動共鳴などさらに高次の機構に関する仮説は検証の仕様がない。ということで、まあ、こんなことを言ってみたところで筆者の個人的楽しみというだけのことです。

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ポストヘッブ・パラダイムを待つ

2008年09月20日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Girodet_de_roucytrioson_ossian

脳内神経回路の働きに関して、神経細胞間の連結構造(神経ネットワークという。一九四九年 ドナルド・ヘッブ『行動の組織化』既出が決定的に重要であることは、この半世紀の脳神経科学の発展によって明らかになっています。しかし、認知、記憶,想起、などマクロな認知現象と神経ネットワークのミクロな作動による表現との対応は、残念ながら、いまだに明らかになっていません。拙稿のいう集団的運動共鳴は、さらに個体レベルより上位の、集団のレベルでの神経活動の干渉現象ですから、現在の科学の範疇にはない。物質現象としての運動共鳴の解明は、(かなり先の時代になるであろう)次世代の(ポストヘッブ?)脳科学パラダイムの出現を待つしかないでしょう。

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拝読ブログ:新・脳の探検

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集団的運動共鳴の同定

2008年09月19日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

その暑いという経験のシミュレーションは、仲間と一緒に感じる集団的運動共鳴であるとき、なぜ「暑い」という言葉に結びつくのか? 私たちはなぜ、暑いときに暑いと思うのか? なぜ、暑いときに「暑い」と言うのか? そして、暑くないときにも、「暑い」という言葉を使えるのか? こういう問題が、哲学、あるいは哲学の科学、にとって、まことに重要な問題だと(拙稿の見解では)思われます。

集団的運動共鳴と拙稿が名づけた脳内現象は、現時点では残念ながら、神経生理現象としては同定されていません。拙稿の見解では、集団的運動共鳴は群棲霊長類の群行動から発展した。動物あるいは人間の群行動の研究は、動物行動学社会生物学進化心理学などで理論的に研究されている。また、実用目的で、群集行動、経済行動、魚群探知、協調行動ロボット、などの研究がある。いずれも独立した(自己保存などの)目的を追求する個体が自律的に行動する結果、集団として顕著な群行動現象が起こる現象を扱っている。これらの研究は、個体を単位とする集団のメカニズムを対象としていて、ミクロな神経回路のレベルでの研究はなされていません。これは、脳内神経現象を精密に測定する技術がまだまだ未熟で、神経回路の作動を物質現象として観測できないからです。いわば、DNAを知らずに研究していた二十世紀前半ころの生物学にあたるのが、現代の脳神経科学、というところですね。

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身体状態の痕跡→言語

2008年09月18日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Girodet_de_roucytrioson_lange2da 過去に、ひどく暑いと感じたときの身体状態の痕跡が、(たぶん脳のどこかに)長い間、残っていて、「暑い」という言葉を使うときには、私たちはそれを無意識に思い出しているのでしょう。身体のメカニズムとしては、暑くて汗を流すとき、皮膚や体内の血流温度を視床下部が検知して、自律神経系を活動させ、皮膚の汗腺細胞が発汗するという生理学的な仕組みはよく分かっている。しかし、暑いから汗をかく、というこの身体生理活動を、私たちの脳がどう記憶していて、それをどのようにして言葉に対応させているのか、現代の科学でもよく分かっていない。

拙稿の見解を述べれば、その身体状態の痕跡は、暑苦しい体感とか、皮膚の熱感、汗のべとつき感などの皮膚感覚、扇ぐと気持ちよい、などの運動‐感覚の記憶などがセットになって、身体運動‐感覚受容シミュレーションとして脳内に保存されている。そのシミュレーションが仲間と一緒に動くことで感じる集団的運動共鳴として記憶されるとき、言葉に結びつく。「暑い」という言葉によって、私たちは、その経験に対応する身体運動‐感覚受容シミュレーションが呼び出されて、暑くてひどくつらい思いをしたときのことを思い出す。これはほとんど無意識で実行されるので、私たちはそれを思い出したことさえ覚えていない。ただ、「暑い」という言葉が分かる、と感じる。

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言語メカニズム

2008年09月17日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

同じ「暑い」という言葉を使う場面でも、場面の数だけ、少しずつ違う意味になる。しかし、それにもかかわらず、「暑い」という言葉には、共通の部分がある。それが「暑い」という言葉の中身、ということですね。それは、かんかん照りで汗だくになっているときの経験を思い出させる記号になっている。

幼児が「暑い」という言葉を覚えるとき、必ず、夏の暑い日に家族や友達と一緒に汗を流しながら「暑い、暑い」と言い合う経験が伴っている。ところが、子供が言葉に習熟してくると、汗をかいていないときにも「暑い」という言葉を使えるようになる。これは、スポーツや職人芸が習熟してくる場合のように、無意識で言葉だけを回転させる技が身についた、ということでしょう。「暑い」と言うべき、会話の適切な場面で、「暑い」という言葉が口をついてでてくる。脳内のこの機構はどういうものなのか? スポーツの習熟と同じなのか、どこか違うのか? 汗をかく自律神経系は、暑くないときはほとんど働いていない。身体が暑さを感じていないのに、私たちは、なぜ暑いという言葉が分かるのか? 

拝読ブログ:【猫哲学72】 記憶について。

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