goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

言語表現と数学

2011年08月22日 | xx6「する」とは何か

音楽もまた独自の表現世界です。言語に翻訳できない。もちろん逆に言語表現を音楽で表すことなどできません。数学もまた日常言語に翻訳できない。(古典述語論理

など)論理学の言葉を使えば翻訳できるといえるかもしれませんが、いずれにせよ、自然の言語表現を数学やコンピュータ言語に翻訳はできません。

人類の言語表現を数学で描写しきろうとしても不可能です。本質的に数式しか分からないコンピュータには人間の言葉は分からない。ロボットもこれが分からないから、ロボットは人間と違う。人間と同じ意味で言葉が分かるようなロボットが作れたら、それは人間の一種ですね。

拝読ブログ:数学

拝読ブログ:言語表現演習の整理編

コメント

翻訳できない世界

2011年08月21日 | xx6「する」とは何か

Godward63 私たち人類は、太古の昔に、「~する」という図式の言葉を発明し、現代にいたって完全な科学を獲得しました。ここに述べたようにこの二つの世界は相容れないところがありますが、私たちはそれを気にせずに、場面場面でどちらをも便利に使っています。物事の認知を共有するために私たちが発明して使っている表現法には、言語や科学のほかに種々あります。たとえば絵画。絵画表現は言語に翻訳できず、逆に言語表現を絵画で表すことはできない。マンガ、アニメ等も同じように独自の表現世界を作っていますね。

拝読ブログ:G7末期の悪あがき、 ついでに新たな植民地時代への布石?? その1

拝読ブログ:[アホな走り集] とある動画に対する海外の反応

コメント

オスの心情

2011年08月20日 | xx6「する」とは何か

一方、私たちの日常会話では「オスはメスを求めて繁殖地へ向かう」という言い方を素直に字句通り受け取って理解できてしまいます。メスを求めるオスの心情がよく分かる。私たちは動物の生態を小説のように読める。この場合に、DNA分子の分離結合エネルギーなど想像もしませんね。

つまり、「~する」という図式の言葉を使う私たちは、現代科学の描写する物質的世界とはまったく違う世界を感じ取って生きている。私たちは「~する」という言葉が分かることによって、現代科学が描く物質世界とは違う世界が分かる動物になっています。運動共鳴によって仲間が動くことの意味が分かる。何かが何かをしようとしてする、ということが分かる。それが人間の感性です。

拝読ブログ:8月の平戸島へ

拝読ブログ:働かないアリに意義がある

コメント

分子運動と生態学

2011年08月19日 | xx6「する」とは何か

Godward60 科学の中でも生態学などでは、動物の行動などを記述する場合、「オスはメスを求めて繁殖地へ向かう」などという「あるものがあることをする」という表現形式を使っての観察結果が描写されます。しかし、科学としての生態学では、動物の行動という現象も生物体を構成するDNAなどの分子の物理的運動あるいは化学的反応から生成されているという原理を前提にしていて、そのうえでの簡略表現として、たとえば動物の神経系筋肉系の遷移の結果としての生態行動を描写するという態度を堅持しています(たとえば一九五三年 バラス・スキナー 『科学と人間行動』既出)。

拝読ブログ:フィクション作品の中で誤用されがちな科学用語・科学理論

拝読ブログ:加害者への公開質問状(私的ブログ)

コメント

現代科学と日常語

2011年08月18日 | xx6「する」とは何か

現代科学が使っているこの表現法では世界の内部にある主体の運動を予測するような「~する」という図式の言葉は使えません。そういう図式の意味が出てきません。つまり現代科学は、本質的に、ふつうの日常語では記述できません。逆に、私たちの日常語表現(たとえば「あるものがあることをする」という表現)を現代科学の表現法に翻訳することは原理的に不可能です。

拝読ブログ:太陽が燦々と 

拝読ブログ:鬼才ロマン・ポランスキー監督「ゴーストライター」

コメント