goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

視覚聴覚のみで錯覚を共感

2007年02月15日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

この機能が、脳のどこの神経回路で、どのような生理的現象として起こるのかは、現在の脳科学ではまだよく分かっていません。たぶん、扁桃体前部帯状回、前頭葉内側など、辺縁系の神経回路が側頭葉、頂頭葉など運動系の大脳皮質と連携して機能しているらしい、としか分かりません。いずれにせよ、明らかに人間の脳神経回路では、人の命、人の心の動き、自分自身に対する意識、などに関する錯覚の共感が感情回路に強く連結して、強い反応を起こしています。その神経回路の反応は、視線による注目など、決まった表情や声色や動作で表わされるようになり、人間どうし互いに視覚聴覚のみで(テレパシーを使わずに)認識し共鳴できるようになり、人間集団の中で安定し定着します。仲間のその表情や動作を感知して、人間は仲間の内部で起こっているらしいその錯覚とそれに伴う仮想運動と感情を共感できて、それらにはっきりした存在感を感じることができます。

仲間の人間の脳内で感じられている錯覚はその人体の運動となって外部に表現されます。つまり、表情、動作、発声となって、それを観察している人間の目や耳で感知できます。その視覚聴覚の受信信号は、観察者側の脳内で自動的に運動形成回路を共鳴させ、その運動信号は記憶にある共有の錯覚の再生を誘発します。そうして、人間から人間へと共有された錯覚が伝わる仕組みなのでしょう。

拝読ブログ:驚くことばかり

拝読ブログ:だまされる視覚 錯視の楽しみ方

コメント

バレンタインは脳内にしかいない

2007年02月14日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

動物の中で人類だけが、仲間と共感する存在感を錯覚として固定できるように、脳の神経回路を進化させたのです。ヒト科に属するチンパンジーゴリラには原初的な形で似たような神経回路があるかもしれませんが、たぶんは、人類の進化史上、せいぜい数百万年くらい前(チンパンジーと別れた頃)以降に起こった人類特有の脳の進化でしょう(後で論じるようにヒト科の中からヒト属が出現した二百万年前かもしれない)。人類は、脳内で作り出される錯覚(バレンタインとかもそれ、チョコはもらいましたが)を、存在感を伴って感じとり仲間と共感することで、共有できる世界のモデルを脳内に作り出し、それにもとづいて仲間との連携行動を調整するようになりました。その結果、連携行動を活用する採食繁殖行動パターンの獲得に成功して、この数百万年間、どんどん繁殖してきたのです。

拝読ブログ:心の哲学について

拝読ブログ:自分の言葉で哲学しよう!

コメント

群棲動物である人間

2007年02月13日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

群れの仲間と感情を共感して、集団行動をとる機能は、群れをなす哺乳動物によく発達しています。古くからある脳のこの機能を基にして、人間の共感共鳴機能も進化したのでしょう。

群棲動物は、仲間が恐怖を感じて逃走を始めると、その恐怖感情を共感して逃走する仲間に全力で追従します。人間の幼児も、動物と同じように、隣の子が泣き出すと泣き出します。しかし成長した人間はそれと同時に、仲間が感じる恐怖の対象、たとえば加害者の悪意、などの存在感を共有してそれに反応するのです。人間は、直接の感情を共感すると同時に、仲間が感じるその感情の対象である錯覚(たとえば加害者の悪意)の存在感を推測し共感するからです。「加害者の悪意」などというものが、それを感じる人の脳の外には物質として存在しないとしても、その錯覚の存在感を脳の中で感情に結び付けて感じ、仲間の人間とその存在感を共感できれば、その脳機能は人類の生存に有利に働きます。そうして、結果的に子孫が増える。つまり、その錯覚を作る機能は人類全体に遺伝していくのです。

拝読ブログ:社会を考える <「ことば」の発達」

拝読ブログ:人間の特徴と人間論

コメント

脳の外の物質世界に心はない

2007年02月12日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena26_3 命、心、欲望、存在、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む・・・こういう言葉で引き起こされる強い感情を集団で共感し、共有することで、人間は団結して上手に生活することができるようになったのでしょう。上手に生活できた人間集団だけが現代まで生き残り、そのDNA配列(ゲノム)を受け継いだ子孫が私たちです。だから当然、私たちは、こういうものごとが人生でもっとも大事なものだ、と感じるのです。

人間は、命や心の存在やその動きなど、これらの錯覚を物質現象として(自分の)脳の外の物質世界に直接見つけることはできません(たとえば、自分以外の人間は、明らかに心を持っているらしく見えますが、その身体や脳をいくら詳しく調べても、これが心だといえる物質は見つかりませんね)。それにもかかわらず、人間は、仲間の人間の身体の動き方を見たときに自分の中に自動的に引き起こされる感情として、その人の命や心の存在感を、直感によって、瞬間的に、簡単に、はっきりと感じ分けることができるのです。

拝読ブログ:意識から宇宙へ

拝読ブログ:心は体のどこにあるの?

コメント

人間の直感は現実世界と整合しない

2007年02月11日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

しかし結局は「天狗」とか、「命」とか「心」とか「自分」とか、感情に訴える存在感の強い直感的な錯覚と、目に見える現実の物質世界の構造とは、もともと整合が取れてはいないのです。

私たちが直感で強くその存在感を感じ、人生でもっとも大事だと思っているものごとたち。命、心、欲望、存在、自分、生きる、死ぬ、愛する、憎む、幸福、不幸、世界、人生、美、正義・・・。こういうものは錯覚です。物質として目で見ることはできません(たとえば、あなたが直感的に「自分」だと思っているその肉体は、目で見える限りでは、分子の集合であるただの物質でしょう?)。

人間の脳は、これらの錯覚を、現実の物質現象とはきちんと対応しないにもかかわらず、自分の脳内で作り出し、それを感情回路に連結して強い存在感を持って感じ取り、仲間と共感することで、行動に結びつけるような働きを持っています。こういう脳の機能を持つように、人類は進化したのです。人類は、群れを作り、群れの中で仲間どうし感情を共感し、共鳴して集団行動ができるように脳機構を進化させました。さらにその機構を下敷きにして、高度な社会生活とそれへ適応する上位の脳機構を共進化させたのです。それが、生物としての人類の生存と繁殖に有利だったからでしょう。

拝読ブログ:一番だいじなものは

拝読ウェブサイト:唯物論の弊害

コメント