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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

直感でこの世の謎は解けない

2007年02月20日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

「命」とか、「心」とか、「自分」とか、強い存在感があるのに目には見えず神秘的でつかみどころのないもの、宗教家や哲学者は、そういうものを、直感を頼りに考えぬくことでこの世の謎を解こうとするわけです。いつかは真理に到達できる、と思うのです。そうすると、どうしても錯覚と格闘することになってしまう。間違いに間違いを重ね、神秘感に落ちいり、言葉の罠に落ち込み、堂々巡りになってしまうのです。

物質で示すことのできない錯覚は、よほど育ちが似ていて、ツーカーの間柄でないとなかなか伝わりません。言葉で懸命に語っているのに、相手は理解してくれない。それで人間の間に、反目と対立が起きてくる。分かってくれない相手に対して、警戒、蔑み、憎しみのような感情が起こるでしょう。異なる神を信仰する者たちを憎み恐れるのは、当然です。それで育ちが違う人間の間、違う宗教の間、異文化、異文明の間、の相互理解はむずかしくなるのです。現代に至って、ますます、人類共通の哲学は作れそうになくなってきました。相互理解の限界、言語の限界、哲学の限界が頻繁に語られる一方、希望はちっとも見えてきません。空転する議論に疲れて、哲学者もニヒリズムに陥っていきます。

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この世は物質の法則だけで動いていく

2007年02月19日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

これら(「命」とか「心」とか「自分」とか「運命」とか)の伝統的な常識概念は、もともと大昔の人々の単純な生活を背景として、幼児にも分かるような素朴な感覚をつなげて作られています。それだけに人間の身体に深くなじむようです。逆に言えば、人間の身体になじみやすい観念だけが今までなくならずに、私たちにまで伝えられているわけですね。

しかしこれらは、数学のように、論理のプロによって注意深く矛盾を取り除きながら作られた概念体系ではありません。また科学のように、物質世界との整合性を確認しながら科学者というプロの集団によって洗練されてきたものとも違います。

生物進化という、偶発性と矛盾に満ちていて当たり前な過程を経てできた脳神経回路が、自動的に作り出す錯覚の雑多な積み重なりの結果です。何百万年という長い時間の間の、無数の偶然の積み重ねで生き残った進化の産物、というだけです。宝くじに当たった人にとって自分の運命が神秘的に感じられるように、これら錯覚の存在感は神秘的です。しかし、何の不思議もない。そこに落ちている小石のように、その存在自体は何の意味もありません。その点を忘れてはいけません。

命とか、心とか、自分とか、そういう大事そうな、神秘的で感情に響くものについて、真剣に論理的に考えれば考えるほど、おかしなことになってきます。他人と違って自分の存在だけが、この世で特に重要なものであるように感じ、自分探し、など言う言葉が何か、意味深いものであるかのような錯覚にとらわれて、現実から乖離していくのです。

この世の現実は、物質の法則だけで動いていく。人間の念力や、神秘の魔法で動くわけではありません。目には直接見えないのに感情にだけ響く、神秘的なものごとと、目に見える現実の物質世界の動きとを、無理やり結び付けて理解しようとするのは間違いです。古代の呪術のようになってしまうでしょう。

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この人体がなぜ特別な自分なのか

2007年02月18日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

物質である人体に、なぜ主体性のある心が入っているのか? ただの物質であるこの人体が、なぜ特別な「自分」なのか? とても神秘的です。

哲学者の厳密な議論が進んでいくと、精神物質主観的自我客観的世界の両方とも存在することの矛盾が発見されてきます。心身二元論独我論存在論、など、古来の哲学の諸問題もそこに見出されたのでしょう。

「命」とか、「心」とか、「自分の主体性」とか、こういう言葉が表すものは目の前の物質の現象としては、はっきり見えません。だから存在しない、と言ってみたくなるようなところがあります。それなのに感情に強く響く。だから神秘的に見えます。目に見えないのに神秘的に感じられるからこそ、崇拝されるのでしょう。物質を超越した宗教や哲学の対象、と思えますね。神秘的であるほどありがたがられて、ますますしっかりと人々の感情に訴えるようになるのでしょう。どうも、人間の脳神経機構は、こう働くように進化してきたようです。

だから危険です。「命」とか「心」とか「自分」とか「運命」とか、これら存在感の強い神秘的なものごとを、あまりまじめに、理論的に考えるのは、どんなものでしょうか? 

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科学と矛盾するから心は神秘的

2007年02月17日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

Hatena27 こういう私たちの人生にとって一番大事なものごとは、たまたま動物ホモサピエンス(ヒト科ヒト属ヒト)の脳が、この数百万年くらいの生活環境に適合する便利な錯覚の存在感を作り出すように進化して、その共感できるようになった錯覚を言葉で表現して子孫に伝承し上手に使ってきたから、私たちがそれを語りあっているのです。

これらの錯覚を作り出す脳の神経機構は、何百万年もかかって偶然の積み重ねによりDNA配列(ゲノム)を変化させることで、自然に人類の身体に出現してきたわけです。偶然の積み重ねによる自然の設計ですから、論理的に完璧には作られてはいません。数学のように、論理の専門家が精密に設計した概念体系とは、違います。そのため、論理感覚に優れた哲学者のような人が真剣に研究すると、「命」とか「心」とか「自分」とかの素朴な常識概念の構造は、科学など物質世界の観察の経験を精密に論理的に表現した理論と比較すると、いろいろな矛盾が見えてしまう。哲学者は、それを神秘と思う。

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人間関係を優先して神経回路に定着させる

2007年02月16日 | 3人間はなぜ哲学をするのか

私たち人間は、目に見える物質そのものよりも、目には直接見えない人の心、自分と人との関係、自分の幸福、不幸などについて、むしろ強い存在感を感じます。そうして、目の前の物質そのものをどうにかすることよりも、目に見えない人間仲間との協調、協力など、自分のまわりの人間関係を優先して生きるようにできているようです。みんなと会食しているときに、勝手にから自分だけおいしいものを取って黙々と食べてさっさと帰ってしまう人は、あまりいませんね。ふつう、会話しながら食べ物を分け合って一緒に食べるでしょう。そういう脳の機構を持った人類が生き残って、私たちを産んだのです。その現生人類の祖先は、(目には直接見えない)人間関係に対応するそれら錯覚を共感し、いつのころからか、その強い存在感を共有できる錯覚に対して、命、心、自分、というような言葉を作って神経回路に定着させるようになったのでしょう。

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