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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

科学の基礎の基礎

2008年01月11日 | x4それでも科学は存在するのか

この感覚信号を自分の身体内外の空間に投射する脳の仕組みは、生まれつきの神経反射と経験による習熟と身につけた理論による思い込みが混合してできあがっている。この仕組みを使って、私たち人間は、身体の(内側と)外側にひろがる物質世界の存在感を感じる。人間のだれもが視覚や触覚(や聴覚や{内耳で感じる}加速度感覚)で共有できる空間とその中に位置づけられる物質現象たちの認識、また同時に、人間の身体運動の対象となる物質たちの認識。脳のその働き、それは脳の働き全体から見ればほんの小さな一部分ですが、それだけに依存して、この自然と呼ぶ客観的物質世界は存在している、といえる。人間の脳のこの働きが、進化によってここまで洗練されているために、物質の法則とそれにしたがってできている物質世界をこれほど正確に、私たちは認知できる。そして、その物質世界を描きあらわす理論として科学が作られてきた。この仕組みが、いわば〈拙稿の見解では〉科学の基礎の基礎を作っています。

拝読サイト:『進歩』や『変化』ではなく『進化』する経済

拝読サイト:人はいかに学ぶか?日常的認知の世界

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感覚を空間に投射する

2008年01月10日 | x4それでも科学は存在するのか

Cranach_nymph3 人間の脳は、五感で直接感じることだけでなく、身体の内外から来る情報全体に応じて、気分、体調、感情、苦痛、快楽、夢、幻想、錯覚、その他いろいろなことを感じる神経機構を持っている。それらは互いに連携して連鎖的に感覚が作られていくが、その過程はまったく意識できない。私たちはそれらの感覚がいつの間にか現れていることに気づくだけです。それらを感じると人間の脳は無意識のうちに、それを客観的世界の空間位置、つまり自分の身体の内部や外部の各部に投射します。たとえば、かゆみを感じると、そのあたりを触ることで、かゆい皮膚の位置を確定できます。また「ピー」という音が聞こえると身体の外の空間のどこかでその音が発生していると感じる。左右の耳に聞こえると方向が分かります。しかし、その音は外し忘れたイヤホンから出た音の場合もある。あるいは、内耳や神経の疾患で幻聴が起こっている場合もある。しかしふつうは、(視覚、聴覚、触覚、運動感覚など)感覚の空間投射はかなり正確に信号発生の原因位置に的中する(この機構に関する脳神経科学の理論としてはたとえば、二〇〇〇年 ジン・ヒン、リチャード・アンダスン『いくつかの座標系での多モード統合空間表現を行う後部頭頂葉皮質のモデル』)。これは進化の過程でこの仕組みが洗練されてきたためでしょう。見当違いの位置ばかり注目する動物は子孫を残せなかったと思われます。

拝読サイト:多脚歩行する

拝読サイト:数の判断と言葉

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神秘感は売れる

2008年01月09日 | x4それでも科学は存在するのか

それらの神秘感は、私は確かに感じるけれども、客観的物質世界の中には見つけられない、というだけです。こういうものは、神秘ではない。物質は私がその存在を感じるものであるけれども、その逆ではない。私が存在を感じるものは、必ずしも物質だけではない。私が感じても物質的世界には見つからないものが、いくらあってもふしぎはない。むしろ、そっちのほうが圧倒的に大きい、という感じがします。そのことがふしぎだと思う人は、自分の脳が感じているこの物質世界が自分の感じるもののすべてを含んでいるはずだ、という間違った思い込みをしてしまっているからでしょう。私たちの脳は確かにこの世界の存在感を感じていますが、この世界にないものの存在感をも、むしろずっと多く感じている。

苦しみや喜びや、愛や憎しみ・・・命の躍動や人の心の温かさ・・・人間がそういうものを感じるのは、それがこの世に物質としてあるからではない。人間は、物質を感じるよりも、むしろ強く、多く、そういうものも感じるような身体を持っている。しかし、それらはこの物質世界の中にはない。それらは脳内の錯覚です。それらの錯覚を強く感じる脳の機能が、人類の生存に有利だったからです。その仕組みは、脳の微細な機構とそれをもたらした人類の進化の過程を詳しく調べることができるようになる時代がくれば、はっきり理解できるでしょう。

ですから、この世の中にも、この世の外にも、どこにも神秘はない。ただし人間の脳は錯覚の存在感と神秘感を感じる機構を持っている。だれもが神秘は感じる。神秘を感じる人類だけが生き残ってその子孫が私たち現生人類になったからです。

神秘を感じることは実用的だったのです。あるときは神秘を感じることで恐れを感じる。またあるときは神秘を感じることで安心を感じる。経験によってそれらの神秘感を使い分けて、そうして上手に生きてきました。だから私たち人間は、神秘を感じることで不安を感じるとその法則を知りたいと思い、法則のようなものを知ると安心できるところがある。だから神秘の話が大好きな人が多い。そうなるので、神秘を商売にしている人たちもいる。占い師ばかりでなく、科学者も含めておおかたの学者、言論人、著作者たち、あるいは最近のウェブライターたちは、多かれ少なかれ、人々が感じる好奇心と神秘感を商売ネタのひとつにしています。よく売れるからですね。

拝読サイト:個人として生きることに耐える~『生きるとは自分の物語を作ること』河合隼雄・小川洋子

拝読サイト:『ねずみ講』またまた "理科離れ"

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科学が説明できないものは神秘か

2008年01月08日 | x4それでも科学は存在するのか

Cranach_nymph2 まあ、占いという行為は原始時代以来、たぶん数万年の実績を持って人々に信頼されてきた手法を使って行われているわけですから、それなりの威厳があったりする。なにより占い師の顔つきや手つきなどが神秘的で不気味な魅力もあったりします。それでも、現代人の多くは、筆者と同じく、占い師よりは科学者アカデミーの意見とそれを報道する新聞やテレビを信用するでしょう。

ただし、科学がいずれはすべての神秘感をなくすことができる、という言い方も、また間違いです。科学が解明できるものは、人間の目に見えるか、耳に聞こえるか、あるいは手で触れられる物質現象だけです。こういうものは、人間にとって一部のものごとでしかない。苦しみや喜びや、愛や憎しみなど、目にも見えず耳にも聞こえず、手で触れることもできない感覚については、科学は無縁です。説明することも、関係することもできない。そういうものに関する神秘感は、科学がいくら詳しく説明しても、それでなくなるものではない。

じゃあ、そういう見えない、聞こえない、触れられない感覚は神秘なのか、というと、これは単純にそうだ、という答えにはならない。科学が説明できないからと言う理由だけで神秘だというのはおかしい。また、直感で神秘的に感じられるから、それは神秘だ、というのも間違い。神秘に感じられるということと、神秘である、ということは違う。それらは、神秘感をもって感じられるものではあるが、神秘ではない。

拝読サイト:米国人の半数「人類は神によって創造」

拝読サイト:鯨への偏愛ゆえに科学を否定…豪・人類は鯨に作られた

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占い師 vs. 科学者

2008年01月07日 | x4それでも科学は存在するのか

世の中には、いろいろ神秘を感じさせるような現象もあるけれど、それらは私たちの身体が感じ取る錯覚だ。結局は、この世界は科学が発見した物質の法則だけで動いている。そう仮定するほうが、他のどの考えよりも分かりやすい。

現代科学は大いに存在感がある、と感じられます。逆に、経典や神話や占いなど、科学以外の神秘体験の言い伝えなどは、昔の人たちの空想が人間の神秘感覚にうまくマッチしていたために次第に体制化してしまった現象だ、という説明のほうが説得力がある。「そうは思えない。私はどうしても科学は信用しない」という人たちは説得できませんが、ふつう文明国の現代人は、神秘体験の言い伝えよりも科学のほうがずっとまともだ、と感じるでしょう。

テレビで人気のある占い師が「来週、大災害が来る」と叫んでいても、テレビを消した途端、筆者は忘れてしまいます。しかし、科学者たちの大多数が「巨大隕石が地球に衝突する」と言ったら、まっさきにロケットに乗って逃げます。

拝読サイト:雑談? 占いは本当に当たるのか?

拝読サイト:全米科学アカデミー、反進化論者のハッカビー候補(共和党)を批判

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