運動を積分して自分の身体と物質の変化を導き出すという脳のこの仕組みは、自然の中で人間が生存するためにとても便利です。その物質がこれからどう変化して自分の身体とどういう関係になるか、すぐ予想がつきます。ふつうの生活場面で、自分の目がどう働いているか、とか、光がどう反射しているか、など細かい物理的過程を知る必要はありません。目の前の空間の中にある物質に対して自分の身体の各筋肉は今すぐどう動いたらよいのか、を知ることだけが重要です。
目に映る目の前のその物質らしい映像が、幻影ではなくて、質量を持った物体であるかどうか。相手の動きと自分の動きを調べることでそれを知覚する機能が、存在感です。生存のために進化した哺乳類の脳は、物質を見たときに、こういう働きをする存在感を知覚する機能を持つようになったのです。人間の脳も、もちろんそのように身体の周りの物質の存在感を感じとるのです(一九九五年 バリー・スミス『常識世界の構造』)。
他人の身体という物質も強い存在感があります。むしろ自分の身体よりも強い存在感があります。人間は、人体に関する視覚、聴覚の信号が得られると、それを感じた瞬間に脳の特別の回路が共鳴するようです。この神経回路は、特に顔と目の動きを敏感に捉えます。その瞬間にその視覚聴覚信号に注意が集中します。つまり、自動的に人間は他の人間の動きにひきつけられてしまうようにできているのです。
他人の身体は、その中に「心」が入っていると感じさせます。その他人の心がその人の身体を動かしている、と思えます。その人が、この世界をどう感じているかが良く分かります。私の目と耳で、その人の視線や表情、発声、身体の動きを見ていると、その人が、そこに見えている目の前の物質に、私と同じように存在感を感じていることが、はっきり感じられます。その人がその物質をどうしようとしているのか、予想できます。
そして予想通りその人が動くのを見ると、脳の中でその感知信号は自動的に感情回路に送られそこが無意識のうちに働いて、私たちは物質の完全な存在感を感じる仕組みになっている、と(拙稿の見解では)推定されます。こういうとき、目の前に見えるこれらの物質は私だけの幻覚ではない、と感じますね。彼あるいは彼女にも、この物質は、私が見るのと同じように見えているらしい。今見ていなくても見れば、こう見えるはずだ。彼も彼女も私と同じように、その物質の存在感を感じるらしい。このように存在感を他人と共有できるとき、その物質の存在感はしっかりと間違いないように感じられます。
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