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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界を存在させるテクニック(3)

2007年06月05日 | 6この世はなぜあるのか

Collier2lady_godiva_by_john_collier はじめ、「この世は存在しない」と仮定したのに、この世は存在できることになってしまいました。つまり、この世は存在すると仮定しても、その仮定が正しいかどうかを確かめる方法はありませんが、一方、存在しないと仮定しても、結局は存在するのと同じことになるわけです。ということは、「この世は存在するか?」という質問は意味がない、と言ってもよいでしょう。つまり、この世は誰にとっても存在するかのごとく感じられることから、この世は存在する、と言うことにすればよいのです。

 こうしてこういう仕組みによって、私たち人間にとって、実際にこの世は存在しているのです。

 今晩、夕飯を食べながら、ご家族に言ってみましょう。「この世は存在するのだろうか? それとも、存在するかのごとく感じられるだけなのだろうか?」

ご家族は、一瞬真っ青な顔をしたり、箸を落としたりするかもしれませんが、その後、とてもやさしくしてくれるかもしれませんよ。

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世界を存在させるテクニック(2)

2007年06月04日 | 6この世はなぜあるのか

 次に、「存在している」というこの言葉の使い方を(行き過ぎに用心しながら)すこしだけ拡大してみましょう。私たちの身体の周りには、目に見えなくて手でも触れないけれども存在しているらしいとしか思えないものがたくさんあります。たとえば、私の頭の後ろの風景だとか、私の頭の中の脳細胞だとか、地球の裏側の国だとかは、見えないけれども間違いなく存在していると思われます。

 それは私が直接は見えなくても、誰かには見えている。あるいは自分か誰かが見ようとすれば見えるはずだ、と感じられるからです。そういう物質は、私も他の人も皆が、経験にもとづいて、確かに存在する、と思っているからです。そういう経験にもとづいた理論でそれら物質の変化を予測すると、いつも成功するからです。それで、そういう経験にもとづいた理論による物事も強い存在感を持って存在するように感じられます。こうして、私も他の人も皆が、経験にもとづいた理論で、確かに存在する、と感じている物事をつなぎ合わせると、自分のこの身体が置かれている空間と時間、つまり物質としての世界全体、宇宙全体、が「確かに存在しているらしい」ことが分かります。

 こういうように、それが確かに存在しているらしいと誰もが感じられると思われる場合、「それは存在している」という言葉を使うことにしましょう。

 ここまでくると、この議論で使う「存在している」という言葉の使い方は、日常的に使っている「存在している」という言葉の使い方とまったく同じになります。使い方が同じ場合、それは同じ言葉だ、ということにしましょう。そうすると、私たちの身の回りの物質は、間違いなく、存在していることになります。そうすれば、ここからひろがっている空間、時間は存在しています。そういうことで、宇宙全体も存在するわけです。

 つまりこれで、この世は存在できることになりました。

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世界を存在させるテクニック(1)

2007年06月03日 | 6この世はなぜあるのか

Collier1tannhauser 自分の目や手やその他の身体の部分をいろいろ動かしてみて、確かにその物質の存在感を感じ、さらにその存在感を他人と共有できることまで感じられた場合、私たちは「そこに○○がある」と言い合って話が通じます。私も、そして私でない誰でもが、はっきりと「○○が存在する」と言っているのであれば、そこに○○があるという感じは絶対に間違いない、と感じられますね。

こういう場合、目の前に見えるこれらの人々とこれらの物質は、確かに「存在している」と言って良いのではないでしょうか? ふつう、そう言って良いでしょう。こういう場合でも目の前の物質や自分以外の人々が「存在している」と言ってはいけないとすると、何も存在できません。せっかく私たちは「存在している」という言葉をよく知っているのですから、それを今ここで使ってみましょう。言葉はうっかり使うと間違いの元になりますが、気をつけて使えば大丈夫でしょう。だから、ここで「物質は存在しない」という最初の仮説をすこし変更して、こういう場合(自分の目や手を動かしてその物質の存在感を感じ、さらにその存在感を他人と共有できることまで感じられた場合)は、その物質は存在している、と言うことにしましょう。

拝読ブログ:オフィスアワー。

拝読ブログ:きゅうじつ

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予想通りの運動→存在感

2007年06月02日 | 6この世はなぜあるのか

運動を積分して自分の身体と物質の変化を導き出すという脳のこの仕組みは、自然の中で人間が生存するためにとても便利です。その物質がこれからどう変化して自分の身体とどういう関係になるか、すぐ予想がつきます。ふつうの生活場面で、自分の目がどう働いているか、とか、光がどう反射しているか、など細かい物理的過程を知る必要はありません。目の前の空間の中にある物質に対して自分の身体の各筋肉は今すぐどう動いたらよいのか、を知ることだけが重要です。

目に映る目の前のその物質らしい映像が、幻影ではなくて、質量を持った物体であるかどうか。相手の動きと自分の動きを調べることでそれを知覚する機能が、存在感です。生存のために進化した哺乳類の脳は、物質を見たときに、こういう働きをする存在感を知覚する機能を持つようになったのです。人間の脳も、もちろんそのように身体の周りの物質の存在感を感じとるのです(一九九五年 バリー・スミス常識世界の構造』)。

他人の身体という物質も強い存在感があります。むしろ自分の身体よりも強い存在感があります。人間は、人体に関する視覚、聴覚の信号が得られると、それを感じた瞬間に脳の特別の回路が共鳴するようです。この神経回路は、特に顔と目の動きを敏感に捉えます。その瞬間にその視覚聴覚信号に注意が集中します。つまり、自動的に人間は他の人間の動きにひきつけられてしまうようにできているのです。

他人の身体は、その中に「心」が入っていると感じさせます。その他人の心がその人の身体を動かしている、と思えます。その人が、この世界をどう感じているかが良く分かります。私の目と耳で、その人の視線や表情、発声、身体の動きを見ていると、その人が、そこに見えている目の前の物質に、私と同じように存在感を感じていることが、はっきり感じられます。その人がその物質をどうしようとしているのか、予想できます。

そして予想通りその人が動くのを見ると、脳の中でその感知信号は自動的に感情回路に送られそこが無意識のうちに働いて、私たちは物質の完全な存在感を感じる仕組みになっている、と(拙稿の見解では)推定されます。こういうとき、目の前に見えるこれらの物質は私だけの幻覚ではない、と感じますね。彼あるいは彼女にも、この物質は、私が見るのと同じように見えているらしい。今見ていなくても見れば、こう見えるはずだ。彼も彼女も私と同じように、その物質の存在感を感じるらしい。このように存在感を他人と共有できるとき、その物質の存在感はしっかりと間違いないように感じられます。

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速度ベクトルの積分→空間感覚

2007年06月01日 | 6この世はなぜあるのか

人間が物を見ているときは、目に入ってくる光の変化の信号が脳の中で神経細胞(ニューロン)を次々に活性化(発火)させて、いろいろな神経回路を巡った末、扁桃体神経回路の周辺を活性化させて、その物の存在感覚が作られるわけです。本人はその脳内の過程は感じられません。その物の存在感が感じられるだけです。本人には自分の目の働きや光の強度や神経信号の伝達が感じられるのではなく、空間の中のそこにその物体がある、時間の中の今、そこにそれがある、という存在感覚だけが感じられます。これが人間の感じる存在感の特徴です。

動物が運動すると、目に映る景色が変わっていきます。動物は運動による景色の変化を感じて自分の身体の移動距離と移動方向を感じ取り記憶していきます。運動距離と運動方向から一定時間に自分が運動した量(速度ベクトル)が分かります。この運動による空間速度ベクトルを積分していけば運動の開始点(自分の巣)の方向と距離が分かります。動物は、この情報を使って巣に帰れるわけです(二〇〇二年 ワン、スペルク『人間の空間表現:動物からの洞察』)。このことから、動物は運動しながらそれによる空間速度ベクトルを積分していくための脳神経回路を持っていることが分かります。人間が移動するときにも、自分の位置を感じるのに、この神経回路を使っているようです。さらに、人間はこの神経機構を利用して、(視差による奥行き知覚と連動させて)自分の周りの空間と時間の感覚を作り出すのでしょう。この仕組みは、上手に設計すれば、ロボットでも実現できるはずです。この機構を使って、人間は、自分の周りに空間が広がっていて、その中にいろいろな物質があり、時間がたつと物質は空間の中を動き、変形変化して物事が起こっていく、という世界の感じ方を身に着けたのです。

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