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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自分の感情を実感

2014年10月10日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

Modigliani2 その違いはしかし、情報の量的な違いであって質的な違いではないでしょう。他人は眼で私の顔を見て私の感情を推測する。私は筋肉や関節の感覚で自分の表情を推定しながら自分の感情を実感する。どちらかが本物で他方はうそなのか?

 

 

 

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自分だけが知っている

2014年10月09日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

視覚や聴覚を主とするデータを使って他人は私の内部状態を予測する。体性感覚など内部感覚を主として使うことで私は私の内部状態を推測する。私はそしてそれを他人が私の内部状態を予測した像として感じ取る。その二つは似たものとなるでしょう。この二つが似たものとなるように人間の感性は、幼児のころから、毎日練習を続けているからです。鏡を見なくても私は私がどんな表情をしているか分かる。眼で見ている他人より正確に分かっている、と思えます。そして私たちは自分だけが自分の内部をよく知っていると思い込む。

 

 

 

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情報量の違い

2014年10月08日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

Modigliani_13 自分がそう思っているほど他人はあなたのことを分かっているわけではない、とよく賢人が書いていますが、それはこういうことなのでしょう。ただし、自分が自分のことをよく分かっているといっても、他人が分かることよりも少しだけ詳しい、情報量が多い、というくらいのものです。私を他人が観察するときは眼や耳や鼻からの情報ぐらいですが、私が私を観察するときはそのほかに体性感覚など体内の感覚も使えます。私を観察する場合、他人よりも私のほうが感覚情報は多い、といえます。これは情報の質の違いではなく量の違いですね。

 

 

 

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カメラでの自分よりも

2014年10月07日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

視覚が捉える身体の周りの光景、室内であれば床、壁や天井、室外であれば地平線、地面、立ち木、道路、などが示す上下方向、身体の動きに伴うそれら光景の回転移動、身体の動きへの抵抗、などから自分の姿と動きを推定できます。また私の触覚、温度感覚とかなど体性感覚あるいは筋肉、内蔵、血管の緊張感覚とか発汗など外分泌、呼吸、心拍、震えなど自分の身体の変化を示す感覚情報から自分の外見、表情や姿勢を想像できます。これに鏡やカメラの情報を追加できれば推測の精度は上がるでしょう。どちらかといえば、直接の感覚から想像した自分の姿の方がカメラで撮った自分よりも正確に思えます

 

 

 

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自分の姿を推測する

2014年10月06日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

Modi_003 もちろん鏡に映った私の姿、あるいはカメラで撮影した私の姿などが使えればそれを他人の目に見える私自身と推測できます。しかし多くの場合、鏡やカメラなどを使わずに私は私の姿をかなり正確に推測できる。それは直接私の感覚が感じるデータを使います。

 

 

 

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