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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

本当の自分などない

2014年10月15日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

それはそういうもの(本当の自分)があるにもかかわらず私たちが知ることができないということでさえありません。自分の身体の内側、あるいは自分の内側、あるいは本当の自分、そういうものは私たちが感じられるこの世界にはない。どこか他のところにあるのではありません。どこにもない、と言うしかないでしょう。

 

 

 

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本当の自分を知る

2014年10月14日 | xxxx1身体の内側を語る

 

Modigliani70

 

他人が私の身体の内部までは見通せないのと同じように、私も私の身体の内部を見通すことはできない。私たちはだれも、自分の身体の内部状態を知ることはできない。そうであれば、自分の内側、と私たちが思っているところの状態も私たち人間は、知ることができない。つまり私たちが口癖のように言い合っている「本当の自分を知っているのは自分だけだ」という思い込みもまた間違いである、といえます。

 

 

 

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他人が見ること

2014年10月13日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

私たち人間は仲間の共感によって現実を感じ取っている(拙稿32章「私はなぜ現実に生きているのか?」)。私は私自身の身体についても仲間と共有する現実の一部分としてそれを感じ取ります。そうであれば、私たちは、自分の身体を他人が見ることと質的には同じようにしか感じ取ることはできません。

 

 

 

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自分の内側について語る

2014年10月12日 | xxxx1身体の内側を語る

 

Modigliani69

 

要するに、言い切ってしまえば(拙稿の見解によれば)、私たち人間が自分だけは自分の内側を語ることができると思っていることは間違いである。だれでも、他人が語ることよりも少しだけ詳しく自分の内側について語ることはできますが、少しだけ詳しいというだけです。結局は、他人が私の内側を知ることができないのと同じくらい私は私の内側を知ることはできない。

 

 

 

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私自身を観察する

2014年10月11日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

そんなことはないでしょう。どちらか一方だけが本物でもう一つはうそ、ということではないはずです。どちらも推定に過ぎない。推定結果のイメージには互換性はある。実際、互換性がなければ他人の観察は共感できなくなってしまいます。

 

私たちは他人を観察してその内側の感情や心情を推定する。それと質的には同様の方法で、私は私自身の身体を観察しその内側の感情や心情を推定する。そしてそれを自分だと思っている、ということです(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。

 

 

 

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