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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

あるかのように

2014年10月20日 | xxxx1身体の内側を語る

 

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人の内側は、あるかのようである必要はあるが、ある必要はない。私の身体の内側に私があるかのようであるが、実はそのようなものはありません。それは、あるかのようであればよいのであって、ある必要はない。ある必要はないから、私たちは眼でそれを見る必要はありません。ただ、あると思っていればよい。それ以上のことはつきつめようと思わない方がよい。

 

 

 

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生活の必要性

2014年10月19日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

私の身体の内部は真暗闇です。真っ暗な洞窟の中には何者かが潜んでいるような気がする。私たち現代人は自分たちの身体の内部にそれぞれの自分というものが潜んでいる、と思っています。しかし私たちは、何を根拠にしてそう思うのか?実は根拠などはない。私たち皆がそう思うことで互いにうまく語り合うことができるから、という生活の必要性から私たちはそう思うことにしているだけでしょう。

 

 

 

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誤謬の罠に陥る

2014年10月18日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

Modigliani114 言語の限界を超えて、語り合えないことを無理に語り合おうとすれば誤謬の罠に陥る。哲学はそうして間違っていき、宗教もまた言葉で語ろうとすることによって混乱していきます。

 

 

 

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言語の限界

2014年10月17日 | xxxx1身体の内側を語る

 

 

このことを深くつきつめてはいけません。つきつめなければ、私たちは、うまく語り合っていられる。しかしつきつめようとすればするほど、おかしな話が出てくる。ないものをあると言い続ければ、言葉を使うことの矛盾に陥るしかない。私たち人間どうしは語り合うことができなくなります。言語で語ることができる限界を超えることはできません。

 

 

 

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存在することにする

2014年10月16日 | xxxx1身体の内側を語る

 

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自分だけが感じることができる自分の内側。そういうものがあるかのように私たちはだれもが、当たり前に、感じる。そう感じることで私たちはこの世界でじょうずに生きています。実際、人と人とが通じ合い語り合うためには、それしかないでしょう。

 

それにこういうものがあると感じることは私たちの身体になじんでいますから楽で便利です。しかし、楽であり便利であるからといってそれらがこの世界の中にあることにはならない。存在という語を使うことはできない。自分の内側というものは、存在などしていない、というしかありません。存在するのではないそれを存在することにしておかなければ私たちは互いに語り合うことができない、というだけのことです。

 

 

 

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