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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界を正確に予測する

2011年06月12日 | xx5存在は理論なのか

Almatadema_a_coign_of_vantagehuge 私たちは、目で見えるこの客観的現実世界が間違いなく存在している、と信じている。そうとしか感じられません。無意識のうちに身体全体でそう感じています。そしてまた、この世界で起こることは言語で正確に語ることができる、と思っています。自分たちの言語で正確に語り合い互いの認識を正確に理解し合える、と思っています。しかも結局は、この客観的現実世界の変化は科学で正確に予測することができる。科学が発達することで、私たちの身体自身を含め、物事がこれからどう変化していくのかを正確に知ることが可能だ、と思っています。

しかしこの世界は一方では、ここで拙稿が述べているように、私たち人間の身体がこう動くからこう存在している、としかいえない現象でもあります。

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都市文明と人類の認知機構

2011年06月11日 | xx5存在は理論なのか

人類の認知機構は(拙稿の見解では)、動物共通の前段プロセスと、人類固有の後段プロセスの二段構えで構成されています。はじめは、もちろん、前段だけしかなかった。人類の進化に伴って後段プロセスが現れ大きくなっていきます。それでも都市文明が発展する以前は、たぶん、後段プロセスは前段プロセスの補足的役割だった、と思われます。しかし現代においては、認知機構のその重心が急速に後段に偏ってきているのかもしれません。

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確固たる科学と経済

2011年06月10日 | xx5存在は理論なのか

Alma_tadema_spring 現在私たちが感じ取っている現実の存在感は、これ以上堅固になることは想像しがたいという意味で、すでにピークに達しているともいえるでしょう。現代人にとって科学と経済の客観的な存在感は確固たるものとなっていて、過去に支配的であった宗教や哲学、あるいは(科学と経済に無縁な)伝統的精神文化などの存在感は消え去ろうとしているかのように見えます。このことは、伝統的慣習などで表されてきた過去の表現様式を駆逐して、科学と経済によって明晰に表現できるものだけが強烈に存在している世界が現れた、と見ることができます。

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人工的な物質構造

2011年06月09日 | xx5存在は理論なのか

現代は都市文明が発展し、私たちの日常生活はすみずみまで人工的な物質構造によって支えられていると感じることができます。現代の都市生活に映し出されている客観的な物質構造による現実のこの存在感の強さは、数十万年前から数千年前までほとんど変化のなかった過去の狩猟採集生活から比べれば、格段に堅固なものとなってきています。

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言語と文化が作る客観的現実

2011年06月08日 | xx5存在は理論なのか

Alma_tadema_silver_favourites 現代では、物事は言葉で語れるばかりではなく、写真映像で記録し、ビデオ動画を撮影し録画録音し、画像をスペクトル分析して物質構造の変化過程を数値データとして微細に記述できるようになりました。

物事の客観的な存在によって映し出されているこの現実世界、という現代人には自明の世界観も(拙稿の見解によれば)、人類文化の進化の過程で作られてきたものでしょう。人類の文化は(拙稿の見解では)、言語や画像やシンボルや共同作業や儀式を使いこなして、現実世界をそのメンバーがそれを同一の存在として認知し共有できるように作り上げる仕掛けです。人類の進化過程は、言語と文化を発展させることで、客観的現実世界をだれが感じても同じように安定的に認知できるような存在として作り上げてきた、といえます。

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