しかしこの前段プロセスが起こっただけではその存在感には言葉が伴っていません。そこから後段プロセスがはじまって「××が存在する」という言葉が作られる。つまり存在が言語化される。それはどういう仕組みになっているのか?
後段の認知プロセスでは、私たちは仲間の人間と一緒に物事の客観的な存在を共有します。原始人類に言語が発生した過程では、(拙稿の見解では)実際にそばにいる仲間の動作や表情、特に視線の動き、に自分の視線コントロール(体軸の姿勢変更、顔の振り向けと動眼運動の組み合わせ運動)の運動形成を共鳴させて同じ物事を同じように見とっているという(運動共鳴による)身体感覚を感じとることで物事の存在を認知していたと思われます(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)。
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