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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

他人の心とは何か?

2009年04月13日 | x9私はここにいる

他人の心は、それを感じとる私の脳の感情機構の働きによって、私の身体を変化させる身体運動‐感覚受容の仮想運動シミュレーションとして表現される。この場合、感情機構は進化によって環境に適応しているから、感覚情報に対応して生存に適切な運動、筋肉、分泌腺、自律神経系の変化を引き起こし、それら(のフィードバック)を感知することで感情を引き起こす。たとえば、人間の笑い顔は、ふつう、安心の感情を引き起こします。

現生人類において、この人物感知機構は、自分の運動形成回路を利用して、感知した他人の運動を取り込み、その運動の、直後あるいは今後の行動を予測する巧緻な機能を持つ。

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観察対象人物の内面

2009年04月12日 | x9私はここにいる

Moreau_dejanira

このとき、人の動作を感知することで引き起こされる運動共鳴により自分の脳内に起こる仮想運動、それに対応する自分の身体の無意識的な自動的な反射による体性感覚の変化信号、たとえば平滑筋や自律神経系の活動による内臓や血管のかすかな変動信号を感知して、それによって私たちは観察対象人物の内面の動きや感情を知覚する。

この自分の身体の無意識な反応を感知して、私たちはそれを観察対象人物の心と思う。これが、いわば、(拙稿の見解によれば)他人の心の存在感だといえます。

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人物感知機構

2009年04月11日 | x9私はここにいる

人間を見て、その身体の中に心の存在を感知するこの神経機構は、育ちや経験に関係しない人類共通性を持つ生得的な仕組みであるようです。私たちの脳は、生れつき、人間の動作を感じると、他人の場合も、自分の場合も、その動きを引き起こしている心や意志のようなものを感じるようにできている、らしい(拙稿8章「心はなぜあるのか?」)。ここでは仮に、それを人物感知機構と呼ぶことにしましょう。

人物感知機構の働きにより、私たちは自分の近くにいる人間の動きを予想できる。視覚あるいは聴覚で人の動作を感知することから、その人間の意図、意志、欲望のようなものを、私たちは簡単に感知できます。

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心を感じる仕組み

2009年04月10日 | x9私はここにいる

Moreau_cleopatra

次に、このように構成された自己中心世界(現実2)の中に、自他感知世界(現実3)が生成できる。赤ちゃんは自分の感覚器に加わるママの動作による作用を感知する。そのパターンを読み取り、その法則性を自分の身体運動で表現する。たとえば、ママの視線を、自分の動眼神経の身体運動‐感覚受容の仮想運動シミュレーションとして、表現し記憶する。このような身体運動‐感覚受容シミュレーションが組み合わされてママのイメージがつくられる。経験が繰り返されることで、法則性が確定していく。経験からある程度に法則性が確定すると、身体反応としての人間という概念ができてくる。

人間の身体は、石や木と違って、私たちの感覚に鋭く響く。特に、私たちは、人間の顔の表情に敏感です。人の顔、特にこちらに向けられた視線を見ると、無意識のうちに感情が湧き起こる。人の身体運動を見ると、その人が何をしようとしているかが、すぐ分かる。こういう私たち自身の感覚、感情の動きを感じて、私たちは、それを人の心の動き、と思う。脳のこの機構は、社会生活に必要不可欠です。人類が社会生活を発展させるにつれて、他人、あるいは自分という人間の内面を推測する神経回路が適応進化してきたのでしょう。

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予測できるから動ける

2009年04月09日 | x9私はここにいる

私たちに感覚と感情を感じさせる脳の機構は、人類の進化に伴って生存環境に適応していったので、私たちが感じる世界のありさまは、人類がその生存環境を生き抜くために身体を動かしていく装置として便利なように構成されている。

たとえば、転げ落ちそうな谷底を見おろすと、私たちは、身体が引き込まれる身体運動‐感覚受容の仮想運動シミュレーションを感じる。また、手がとどくところに生っている鮮やかな色の木の実を見ると、もぎ取る身体運動‐感覚受容シミュレーションを感じる。人のどなり声を聞くと、首をすくめたくなるような身体運動‐感覚受容シミュレーションを感じる。

こうして物事は感じとられ記憶され学習されて、私たちは成長してきた。このような学習によって成熟した私たちは、いつでもやすやすと、今しようとしている自分の運動の結果によって物事がどう変化するのかを予測することができる。逆に、予測できないと私たちは意識的には運動できない。

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