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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

自我の生成機構

2009年04月18日 | x9私はここにいる

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憑依機構をつかうことによる人類のこのような客観的世界の獲得は、さらに自分の身体の観察におよび、自己身体の外観の客観的観察と内観による体性感覚、運動感覚や感情を貼り合わせることで自我概念を生成する機構に進化した。不特定な他人の視点に憑依して外側からながめる自分の身体の感知から、自分がする運動の意図、意志、欲望、目的が推測できる。

そうして憑依機構をつかうことによる自分の行動の感知から推測する意図、意志、欲望、目的、に、自分の内部感覚から感知する体性感覚、運動感覚、感情、経験、言語文脈などを貼り付けることで自我が形成されていく(拙稿12章「私はなぜあるのか?」)。

拝読ブログ:個人的個人的適応

拝読ブログ:「『意識』を語る」スーザン・ブラックモア著(1)

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憑依→客観性

2009年04月17日 | x9私はここにいる

私たちにとってこの客観的物質世界は、仲間のだれでもが、同じ運動を加えて同じ感覚を受け取ることができる対象である、と感じられる。だれかに憑依して、そのだれかの身体を使ってこれらの物質を操作するシミュレーションをする。そのときその身体がどう感じるか、そのシミュレーションが私たちの体性感覚にもたらす仮想的な経験を感知することで(拙稿の見解では)その物質の客観的存在感がつくられる。

こうして私たちは、客観的物質世界を感知する。換言すれば、物質世界は、憑依機構をつかう運動共鳴シミュレーションによって、こうして客観的に存在する。物質を見る私たちの視点のこの客観性は、数千年前から始まった歴史時代から現代に至って、自然科学をつくりだしている。

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拝読ブログ:歴史とは何か/『世界史の誕生』岡田英弘

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鳥瞰的な客観的世界観

2009年04月16日 | x9私はここにいる

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私たちの脳神経系にあるこの憑依機構は、人類の社会生活において便利なため頻繁に使われた。頻繁に使われる生体器官は速く進化します。現生人類が旧人類から分岐する過程で、(拙稿の推測では)この機構が優れた現生人類は生存競争に勝って、世界中に繁殖したのでしょう。

その結果、この憑依機構はさらに進化して、不特定の人間の視点からの鳥瞰的な客観的世界観をつくるように発展する。ここまでくると、物質世界の客観性は、現生人類である私たちが感じているものと同様になる。

拝読ブログ:ダーウィン特集雑感

拝読ブログ:  北高尾山稜ルート2

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客観的とは何か?

2009年04月15日 | x9私はここにいる

人間は、(拙稿の見解では)身体運動‐感覚受容の仮想運動シミュレーションを使って、仲間の内面に憑依することで、この世界を他人の視点から客観的にながめる拙稿第4章「世界という錯覚を共有する動物」)。逆にいえば、このような憑依機構が働くことで、この現実世界は、私たちがそう感じるというばかりでなく、実際に客観的に存在する、といえる。

私たちが感じる、物事の客観性という感覚は、ここから来ている。この仕組みで(拙稿の見解では)、私たちは、憑依を使って仲間と共感する身体感覚で感じることだけから、世界が客観的に存在することを直観で感じとっている。

拝読ブログ:宗教

拝読ブログ:科学革命について 1~客観性の問題

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脳の憑依機構

2009年04月14日 | x9私はここにいる

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脳におけるこのシステムを、拙稿では憑依機構と呼ぶ。これは、身体運動‐感覚受容の仮想運動シミュレーションを使って、仲間の人間の動作、表情を見取り、音声を聞き取ることで、いわばその人に乗り移って、その身体を動かす意図、意志、欲望、目的を身体感覚として感じとり、その人の視点から世界を見直す脳の機能です。

たぶんこれは、大脳前頭葉をつかう人類に特有な機能であって、他の動物にはないと思われます。チンパンジーなど類人猿には、この機能の原型があるようですが、人類の能力には程遠い。

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拝読ブログ:チビチビたくさん

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