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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

生きているから現実

2009年04月28日 | x9私はここにいる

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いずれの現実も、その存在感を感じとりそれを利用して自他の行動の結果を予測する脳の機構によって現れる、といえる。私たちのその脳の機構は、原始時代、数十万年にわたる進化の積み重ねによって人類の生活環境での生存と繁殖に便利なように、つくりこまれてきたはずです。

そうだとすれば、私たちが目の前に見ている現実は、それが本当にこうあるからこうあるように見えるというよりも、こうあるように見えるほうが、私たちが、過去数十万年における生存繁殖の場で動物として有利に生存し繁殖する機会を得られたから、こうある。つまり、私たちがいまこういう現実の中に生きている、というよりも、私たちが(正確にいえば、私たちの遺伝子が)生き残るために便利な行動をつくり出せるためには、私たちはこういう現実の中に生きている、と感じるように私たちの身体がなっていることがよかった。私たちがこの現実を感じとってその中で生きている、というよりも、私たちが生きているからこれが現実なのです。

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科学<現実1<現実3<現実2

2009年04月27日 | x9私はここにいる

科学が描く物質世界は、私たち人間だれもが直観で感じとっている目の前のこの物質世界(現実1)を理論化したものです。科学が描く物質の理論はいつでもどこでも経験できる法則に従っている。科学的方法論と呼ばれる、科学者が共同で法則を確認する仕方で、科学の理論はつくられてきた。人間がだれでもいつでもどこでも経験できる物事は、私たちに強い存在感を与える。その物事は現実だ、と私たちは感じる。私たちが持つこの現実感覚によって、科学が描く理論的な物質世界は、客観的に存在できる。

これが、すべての科学の土台になっている。つまり、科学は、私たちがふつうに物質を感知する現実感覚(現実1)に支えられている。その客観的現実(現実1)は、先に述べたように自他感知世界の現実(現実3)に支えられており、さらにその自他感知の現実(現実3)は、自己中心的現実感(現実2)に支えられている。

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物質が唯一の実在?

2009年04月26日 | x9私はここにいる

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私たちは、目の前にあるこの客観的物質世界が唯一の実在だと信じているが、それは現生人類特有の現実感覚にすぎない(拙稿6章「この世はなぜあるのか?」)。たしかに、私たちははっきりと、この物質世界を現実と感じるし、こう感じている限り、じょうずに間違いなく毎日の生活を送り、生存し繁殖できる。

つまりこういうように現実を感じる身体は、うまく生存繁殖ができる。私たちのこの身体は、生物としての人間にとって繁殖に便利なようにつくりこまれている、といえる。生存繁殖に便利な身体とその神経系は、進化の過程で維持される。その理由で、私たちはこういう身体を持ち、現実をこう感じている。世界をこう感じるような神経系を持っている。そうだから、現実は、私たちがこれこそが現実だ、と思うように、こうなっている。

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物質は客観的に実在する?

2009年04月25日 | x9私はここにいる

最後に、目の前にある物質たち、そしてそれらでできている客観的物質世界(現実1)、が獲得される。幼児が幼稚園に入るころには、身の回りの物質がどういうものであるか、他人がそれらをどう感じているのかが分かるようになる。冷たい水は冷たい。重い荷物は重い。日が落ちると暗い。ボールは足で蹴ると飛んでいく。だれにとっても、物質は客観的に実在する。

自分が何をしようと、何を思おうと、冷たい水は冷たい、重い荷物は重い、日が落ちると暗い、ボールは足で蹴ると飛んでいく。自分とは関係なく、冷たい水は冷たい、重い荷物は重い、日が落ちると暗い、ボールは足で蹴ると飛んでいく。

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他人と自分の行動を予測

2009年04月24日 | x9私はここにいる

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さて、こうして他人がつくられ自分がつくられることで、私たちがいつも感じている自他感知世界(現実3)は完成する。発育上では、赤ちゃんが幼児になると、それはつくられてきます。これ(現実3)を現実と感じとってその上で他人と自分の行動を予測することで、私たちは集団行動をつくりだす。そこに、あらゆる人間関係をつくりだす。愛、憎しみ、尊敬、あるいは嫉妬、などの感情を生み出し、そうすることで社会を形成する。こうして、私たちはじょうずに生存し繁殖することができる。逆にいえば、そうして繁殖に成功した人類の子孫だから、私たちは、愛、憎しみ、尊敬、あるいは嫉妬、などの感情を持っている。

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