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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

光景は消え去る

2015年06月24日 | yyy46人類言語はなぜ万能なのか

歩道ですれ違った高速自転車乗りに視線を投げかけながら、ふっとため息をついて片眉を下げてみせる。友人も両手を小さく広げるジェスチャーをします。それでコミュニケーションは成り立っている。しかしこのコミュニケーションを一週間後に正確に思い出せますか?ひとことふたことでも友人と言葉を交わした場合、たぶん言ったことを覚えているでしょう。しかし軽いジェスチャーだけだった場合、おそらくその動作は覚えていません。この小さな事件をツィッターにでも書き留めておかない限り、しっかりした記憶にとどめることはできませんね。
言葉でしか正確な記憶は作れません。光景は時間とともに消え去る。




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梅雨時の一晩くらい・・・が間違いの元

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●『歴史とアートで綴る 阪神沿線あまがたり展』







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ウィンクとか、ため息

2015年06月23日 | yyy46人類言語はなぜ万能なのか

言語以外に言語に似たようないろいろな方法で、たとえばウィンクだとか、ため息だとかで、私たちはいろいろな物事を伝え合い感覚や感情を共有するけれども、言葉でそれを確かめない限り、それらは煙のように消えてしまいます。



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聖子ちゃん祭り、続き。

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言語により共有

2015年06月22日 | yyy46人類言語はなぜ万能なのか

言葉で確認することで、絵もマンガも音楽も演劇も料理もファッションも、私たちは共有する。コミュニケーションとしてなりたつ。それでそれらの物事はこの世界を構成することができるようになります。世界の構造について理解しあうことができます。


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思考の主導権

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言葉による教育・動作による教育①




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マンガで語り合う

2015年06月21日 | yyy46人類言語はなぜ万能なのか

私たちが何かについて語り合うとき、問題は、語り始めた瞬間にどうにもならない限界の中に入り込んでしまうということです。それは、人間どうしが言葉でしか語り合うことができない、という限界です。いや、絵を描いて語り合うことができるじゃないか、とか、マンガで語り合える、とかいう人もいるでしょう。それはしかし、その絵やマンガを言葉で確認しなければ語り合ったことにならないでしょう。



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チヌークと楽しい思い出ができて嬉しいな

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絵もまた言語

2015年06月20日 | yyy46人類言語はなぜ万能なのか

作曲家は譜面に曲想を書くかもしない。口笛を吹くかも知れない。しかし音符もまた言語でしかない。画家は絵を描く。しかし絵もまたある意味で言語でしょう。人に何かを伝えるものは、結局は、言語の一種でしょう。そう見れば、何かを思うということは、言語で語ることと同じことになります。



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テトペッテンソン





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