「ぼくが今、机のこっち側を持ちあげるから、ちょっと重いけど、A君、きみもそっち側を持ちあげて机を動かそうよ」と私が言うことによって、私というものが意志を持って自分の身体をコントロールしている主体としてここに存在している、という世界の現実をA君は確認する。そして同時に、私もそういうような世界とその中で意志を持って自分の身体をコントロールしている私というものの存在を確認する。
このような現実認識を、私と私の協力者であるA君とが共有する場合に限り、私とA君との間に緊密な協力がなりたつ。逆に言えば、たとえば二人で机を運ぶ、という協力がなりたつためには(拙稿の見解によれば)、机を持ちあげる意志を持ち机の重力を感じとることができる私、という主体が(私にとってもA君にとっても)この世界に存在するという現実を、はっきりと感じている必要があります。
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