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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現代科学は典型的な因果論

2011年02月07日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_014 因果論は、世界の中である変化が起こるのはその前の状態に原因があって、その状態から決まった法則に従って結果が起こるからその変化が起こる、という考え方です。世界には物事の推移を決める法則がまずあって、その法則に従って原因が結果を決めている。すべてはその法則と初期の状態だけで決まってくる、という理論です。

現代科学は典型的な因果論として作られています。現代物理学では、宇宙全体の時空間の上に定義される状態量伝搬方程式(時空間関数方程式)の展開によってすべての物事が推移するとする場の理論によって世界を描写しています。

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西欧哲学の岐路

2011年02月06日 | xx4世界の構造と起源

ちなみに意図を持つ主体が目的を追求して行動することで世界の物事が推移するという世界観は目的論と呼ばれ、アリストテレスから近代哲学に至る西欧哲学の系譜のひとつになっています(BC三三〇年頃 アリストテレス形而上学』既出、一七八一年 イマニュエル・カント純粋理性批判』既出)。私たちが人間や動物の動き(あるいは心理現象や社会現象)を見るときは、ふつうこういう見方をしています。

これに対して因果論と呼ばれる、物事はすべて原因から結果が引き起こされることが連鎖して推移していくのみであってどこにも目的を追求する主体などはない、という考え方も、古くから東洋にも西洋にもあります。西洋哲学ではこちらもアリストテレスから始まって近代哲学(一七三九年 デイヴィッド・ヒューム人性論既出)において発展し、現代科学の根底を支える思想になっています(自然主義という)。

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形而上学最大問題

2011年02月05日 | xx4世界の構造と起源
Gustav_klimt_013

つまり、ニュートンによれば、リンゴは地面に落ちるという目的を持って地面に向かっているのではなくて、何か(この場合は地球重力)を原因として加速された結果(因果関係により)そのように動いているだけであって目的など持たない、ということです。この考えにもとづいて作られてきた科学は大成功しました。

一方、私たちの日常言語(自然言語)は(拙稿の見解では)、意図を持つ主体の行動を予測しその意図を描写する、という図式のもとに構成されている記述システムですから、科学の記述システムと日常言語のそれとの間には乖離が起こる。その乖離が現代に至り、(拙稿の見解では)先に述べた世界のチキン―エッグ問題(あるいはデカルトスピノザ問題、あるいは心身二元論問題、あるいは心脳問題クオリア問題あるいは現象学、あるいはハードプロブレムと呼ばれる形而上学の問題)を深刻化しています。

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主体論vs.因果論

2011年02月04日 | xx4世界の構造と起源

私たちは、たとえばライオンがシマウマの後ろから走っていくのを目撃すると、ライオンはシマウマを捕食するだろうと予測して、その捕食がライオンの走行の目的だ、ライオンはシマウマの捕食という意図を持って走行しているのだ、という図式を構成する(拙稿21章「私はなぜ自分の気持ちが分かるのか?」)。私たちは、リンゴが枝から離れて地面に落ちるのを見ると、「あ、リンゴは地面に向かうという目的を持って地面に向かって動いているな」と一瞬思います(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか?【11】」)。

ところが現代科学は、アイザック・ニュートン(一六八七年 アイザック・ニュートン自然哲学の数学的原理』既出)に始まる因果関係を基礎とする力学、さらにジェームス・マックスウェルに始まる場の理論など、(偏微分方程式やテンソル方程式などの)時空間関数方程式を使って状態量の伝搬を表現することに成功し、これにより物質世界を記述することで主体―意図的運動という認知図式から抜け出しました(拙稿第14章「それでも科学は存在するのか?」)。

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目的予測→行動認知→言語

2011年02月03日 | xx4世界の構造と起源

Gustav_klimt_012 人類の言語(自然言語)は(拙稿の見解では)、意図を持つ主体の行動を仲間と一緒に同時に予測しそれを共有する、という図式のもとに構成されている記述システムです(拙稿18章「私はなぜ言葉が分かるのか」)。言葉(自然言語)を使って物事を語る限り、主体―意図的運動、というこの図式から抜け出せない(一九二一年 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』既出)。

これは(拙稿の見解では)言語以前に人類の認知機構が、目的あるいは意図を持つ主体の行動を仲間と一緒に同時に予測しその予測を共有するシステムとして構成されているからです。人間の認知機構は、物体(たいていは動物)が動くことを(目や耳で)感知すると、その動きの結果として実現する状況を予測し、その状況を実現するという目的や意図を持ってその物体(たいていは動物)が動いている、という図式を作り出す。

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