世界は、世界がこう存在して、そこに私の身体がこう存在していて、その身体が世界をこう感じとっている、かのように感じとれる。それは世界がこう存在しているからだ、と単純に思えます。しかしそれだけでは、世界が存在することは理解できますが、それを感じとっている私の存在が必要であることが理解できない。世界が、私が世界をどう感じとるかに関係なく存在しているならば、私がどう感じるかは世界とは全く関係がないはずです。世界の存在と私の存在とは、互いに関係がない別の話になってしまいます(拙稿23章「人類最大の謎」)。
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