この世に存在している物事はすべて(拙稿の見解によれば)、この靴箱に似た理由で存在しています。科学理論も広い意味で、このように物事を存在させるための理論の一種であるといえます。
私たちの身体は、仲間の皆が感じとっている存在感を(運動共鳴によって)直感として感じとることができます。これが(拙稿の見解では)空気を読む、といわれる現象、あるいは協調性といわれる社会現象の基礎になっています。この私たちの身体の共鳴機構が人々が共有する理論の作り出す世界の存在感になっていると思われます(拙稿4章「世界という錯覚を共有する動物」)。神話や伝承の物語、あるいは現代のマスメディアが作り出す世界情勢や現代世相などのイメージの存在感、あるいは自分の人生というストーリーの存在感(拙稿22章「 私にはなぜ私の人生があるのか」)なども、おそらく、この機構によって作り出されるものでしょう。もちろん、科学理論も例外ではありません。科学理論も科学者の間の認識の共有によって支えられています。
拝読ブログ:ファッキンなう
拝読ブログ:大丈夫。がんばっているんだから 渡井さゆり(著)