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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界が現実に存在する

2011年01月07日 | xx4世界の構造と起源

拙稿の見解では、世界の起源は私たち人間の間に起こる集団的な運動共鳴です。仲間との運動共鳴によって、私たちは客観的な世界が存在していると思い込む。

目に見えて手で触れる物質でできている世界がここにある。この世界の中にある物質である私の身体がこの世界を感じとっている。私は私の身体を動かして世界の中を移動し、世界の(ごく小さな)一部分に影響を与えることができる。こうすることができるということは、ここにこの世界が現実に客観的に存在するからである、と考えられます。

拝読ブログ:幼児の経験世界 アニミズム

拝読ブログ:主観と客観

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世界の存在理由

2011年01月06日 | xx4世界の構造と起源

Tizianovenus20anadyomene 私たちの身体がそうなるように作られていることによって、世界は、今日現在ここに存在し、明日の未来にも存続することになる。こうして、私が存在していても存在していなくてもかかわりなく、世界は厳然として存在し続けることになります。これが(拙稿の見解では)、世界の存在理由、つまりこの現実世界の起源です。

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人類の遺産

2011年01月05日 | xx4世界の構造と起源

そういう世界の中に置かれている互いの存在を認め合って集団的に行動する。互いに共有するこの世界の存続を同じように思い込んでいる仲間と協力して毎日の生活をする。私たちはなぜそうするのか? それは、そう思い込むことで、私たちの祖先が大いに繁殖し、そう思い込むような私たち子孫を残したからでしょう。

拝読ブログ:インドの旅--9  ピンク・シティ-、世界遺産・ジャイプ-ル

拝読ブログ:フローズン・リバー

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世界がここにあると思う

2011年01月04日 | xx4世界の構造と起源

Tizianovenuscvenere20e20cupido20con 私が刺身になってしまうかしまわないかにかかわりなく、こうしてこの世界は存続し続ける。私とは無関係に存在する世界というものは、こうして成り立っている、といえます。

まさにこれが(拙稿の見解では)、世界の起源であるといえるでしょう。私たち人間が仲間どうし、世界がここにあると思い、この世界は私が何を思うかとはかかわりなく私が死んだ後も私の存在とはかかわりなく当然客観的に存続していく、と思い込みながら会話をする。そうすることがこの世界を成り立たせている。

拝読ブログ:宇宙は何でできているのか 村山 斉(著)

拝読ブログ:客観性とはありきたりのことを書くことではない。

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世界は存在し続けている

2011年01月03日 | xx4世界の構造と起源

ところで、刺身になる直前の私が、彼らがするであろうこのような会話を想像したとしましょう。その場合、その会話の中では、私が刺身になった後も世界は存在し続けていることになる。

この想像の話を私は網ですくわれる直前に、仲間のだれかに話したとしましょう。その場合、私とその仲間との間で、世界は存在し続けることになっている。

「ぼくが刺身にされちゃった後、きみたちはぼくのことを覚えていてくれるだろうか?」

「覚えているとも。忘れるわけないじゃないか」

というような会話をクラゲの私たちがするとき、私たちの間では、その後もいつまでもこの世界は存続しなければなりません。

拝読ブログ:「死にゆく者の隣人 それが共同体を基礎づけるものである」

拝読ブログ:四性質がつくる世界:ヒポクラテス文書より

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