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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

正常な大人の人間

2012年05月13日 | xx9 生きるという生き方

Jww_theladyofshallot_1888 客観的現実はいつも、現在現れている状況であると同時に、そこから次の瞬間へ向けて変化し続けている、と感じられます。現在と現在進んでいるそこからの変化の予測が現実を作っています。そのような意味で、現実は予測される明日を含む、といえます。

私たちが自分は生きていると思うということは、明日はどうなるかの予測をすでにしてしまっているということでしょう。つまり仲間と明日を含むこの現在の現実の中に生きる。それは、現在の体感にだけ反応して反射的に身体を動かしている動物や赤ちゃんや認知症の老人はしていないけれども、(言語を使用する)正常な大人の人間のすべてがしていることです。

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予測される現実

2012年05月12日 | xx9 生きるという生き方

ふつう、人間はだれも、(拙稿がいうところの)生きるという生き方をしています。この生き方では、現在の予測にもとづいて、明日以降の未来に向けて常に生き続けることが必要です。客観的現実世界の中に自分の身体が置かれていることを確かめるためには、この現実が仲間の見ている現実と同じであることをいつも確認している必要があります。そのためには自分の周りにいる仲間の動きをいつも予測し、いつも見ている必要があり、そのためには明日以降の予測につながる現在の客観的現実をいつも感じ取っている必要があることになるからです(拙稿28章「私はなぜ明日を語るのか?」 )。

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ふつうの生き方

2012年05月11日 | xx9 生きるという生き方

Jww_ophelia_1889 私たちはふつう、自分がそうして生きていることは重要なことだと思っています。つまり自分がほかの人々と同じ客観的な現実世界を感じ取りながらその中に自分の身体があると感じている、ということが重要だ。そう思うことが生きるということだ。自分はいつもそう思いながら毎日を生きている、と思っています。こういう、ふつうの生き方を(拙稿においては)生きるという生き方だということにしましょう。

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予測される自分

2012年05月10日 | xx9 生きるという生き方

また私たちは自分自身についても同じように感じていると思われます。つまり、私たちは、周りの仲間が自分の行動についてそういう(仲間として生きているという)予測をしているだろうと思えるとき、自分が生きていると感じます。言い換えれば、私たちはこの客観的現実を感じ取りながら行動している人間の一人として自分が生きている、と感じています。

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私たちと同じ姿

2012年05月09日 | xx9 生きるという生き方

John_william_waterhouse_the_unwelco いずれにせよ、ある人が生きていると私たちが認めることは、その人が私たちの仲間と同じだと(身体反射により、あるいはさらに理論により)認めるということです。

ある人が生きているというとき、私たちは、その人が私たちと同じ姿をしていて、同じように身体を動かしていて、しかも私たちが感じ取っているこの客観的現実世界を同じように感じ取りながら行動しているであろう、という予測をしています。逆に、そういう予測ができるということが、その人が生きている、ということです。

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