goo blog サービス終了のお知らせ 

哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実の中に社会を作る

2012年05月18日 | xx9 生きるという生き方

現実世界はこのようにはっきりとここにあるわけで、感じられるもののすべてはこの世界の中にあるのだから、当然、それらを感じ取っているこの私もこの世界の中にある、と私たちは思っています。そういう世界の図式の中で自分が生きていると思うところから、私たちは互いに協力して社会を作っていく仕組みになっています。

拝読ブログ:セカンドライフについて:電子書籍だ!ツッディーの楽しいことを探っていこう♪

拝読ブログ:日本を守るのに右も左もない | 魔術から近代科学へ12 十字軍侵略とアリストテレス翻訳を先導した主勢力(ノルマン人+クリュニー修道会+イタリア商業都市)

コメント

現実を作り出す人体

2012年05月17日 | xx9 生きるという生き方

Lamia_and_the_soldier 私たち人間は、仲間のだれもが感じ取っているこの現実世界そのものを痛いほど切実に身体で分かってしまいます。この現実がまずここにあって、そしてその中に自分の身体があり、その身体の中に自分がいる、と思っています。それはそう思うように私たちの身体が(進化の結果)作られているからですが、私たちはそうは自覚せずに単に現実世界が当然ここにこうある、と思います。

拝読ブログ:TEDxOsaka2012イベントレポート - 世界をつなぎ感動を生み出すプレゼンテーション - 読書I/O日記

拝読ブログ:虚構としての現実 - booteikokuの日記

コメント

現実はなぜこうあるのか?

2012年05月16日 | xx9 生きるという生き方

私たち人間は、仲間のだれもが感じ取っているこの現実世界そのものを痛いほど切実に身体で分かってしまいます。この現実がまずここにあって、そしてその中に自分の身体があり、その身体の中に自分がいる、と思っています。それはそう思うように私たちの身体が(進化の結果)作られているからですが、私たちはそうは自覚せずに単に現実世界が当然ここにこうある、と思います。

拝読ブログ:なぜ山に登るのかは誰にも分からない : ITスペシャリストが語る芸術

拝読ブログ:枯山堂の呟き  或る偏屈漢の異見(和は八百長に通ず)

コメント

動物に現実はない

2012年05月15日 | xx9 生きるという生き方

La_fileuse__john_william_waterhouse 読者諸姉諸兄はたぶん、こういう話はあまり聞いたことがないと思われるでしょう。「生きる」という言葉は毎日のように使われているのに、拙稿本章のような、こういう奇妙な意味付けが語られることはありません。人が生きることと生物が生きることとは違う、という話もお聞きになったことはないでしょう。拙稿としては、こういう分かりにくい話は読者に嫌われるのではないかと心配です。

この話が分かりにくい理由は、私たちが、自分たち人間の生き方だけが生物の生き方としてふつうであると思い込んでいるところにあります。人間の生き方は人類特有の進化の結果できあがった特殊な行動様式であって、ほかの生物(動物)にはあてはまりません。言語を使用しない人間以外のすべての動物(や赤ちゃんや認知症の老人)は仲間と共有できる客観的現実を感じ取ることはなく、したがって仲間の視線に映る現実の中で行動する自分の姿を感じることもありません(拙稿第一部 哲学はなぜ間違うのか・第4章「世界という錯覚を共有する動物」 )。人間以外の動物は、仲間と現実世界を共有する必要がないからそのような身体に進化しなかった、というだけのことでしょう。

拝読ブログ:小説挑戦 第十二話 (空気のやつ)

拝読ブログ:かきぶろ――kakit! Blog : 『犬の行動学』(エーベルハルト・トルムラー著)

コメント

人類の奇妙な生き方

2012年05月14日 | xx9 生きるという生き方

このような生き方を、私たちは当然と思っていますが、人類(の正常な成人)以外にこういう生き方をしている動物はいないという意味で、これは人類特有の行動様式です。この人類特有の行動様式が、生きるということです。人類に特有でほかにないという意味で動物の行動としては風変わりな、あるいは奇妙な生き方である、ともいえます。

それでは大人の人間以外の動物や赤ちゃんや認知症の老人は生きるということをしていないのか? それは、もちろん生きるという言葉の使い方の問題です。医学的生物学的な意味では、彼ら(それら、というべきか)は当然生きています。しかし拙稿本章で問題にしている、(生きているという言葉のもともとの意味である)仲間と客観的現実を共有しているかどうかという観点でいえば、あてはまりません。その(言葉の本来の)意味で、生きている、といえる動物は人間の大人だけです。

拝読ブログ:あかずの間のページ:ニシヅカ孔子・・・・いや、ニシヅカ講師の・・・ニッポン論 (1) - livedoor Blog(ブログ)

拝読ブログ:(映画DVD) ピュアで奇妙で、美しいラブストーリー 『永遠の僕たち』|ビジネス書・映画DVDの紹介、ビジネスコラム【大阪 Viewcom のブログ】

コメント