読者諸姉諸兄はたぶん、こういう話はあまり聞いたことがないと思われるでしょう。「生きる」という言葉は毎日のように使われているのに、拙稿本章のような、こういう奇妙な意味付けが語られることはありません。人が生きることと生物が生きることとは違う、という話もお聞きになったことはないでしょう。拙稿としては、こういう分かりにくい話は読者に嫌われるのではないかと心配です。
この話が分かりにくい理由は、私たちが、自分たち人間の生き方だけが生物の生き方としてふつうであると思い込んでいるところにあります。人間の生き方は人類特有の進化の結果できあがった特殊な行動様式であって、ほかの生物(動物)にはあてはまりません。言語を使用しない人間以外のすべての動物(や赤ちゃんや認知症の老人)は仲間と共有できる客観的現実を感じ取ることはなく、したがって仲間の視線に映る現実の中で行動する自分の姿を感じることもありません(拙稿第一部 哲学はなぜ間違うのか・第4章「世界という錯覚を共有する動物」
)。人間以外の動物は、仲間と現実世界を共有する必要がないからそのような身体に進化しなかった、というだけのことでしょう。
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