この現実世界は(拙稿の見解では)、私たち人間の身体が(自動的に)仲間の身体の動きと運動共鳴を起こすことで生成されている。いわば人類特有の拡張表現型(リチャード・ドーキンスの造語)です。私の身体と私の仲間たちの身体が(運動共鳴により)共鳴して作りだしている三次元映像のごとき錯覚(拙稿第一部 哲学はなぜ間違うのか・第4章「世界という錯覚を共有する動物」
)です。錯覚であるこの現実世界を出発点として進んでいく限り、錯覚の中に何かその根幹となる真実があるはずだと探し求めていくだけとなり、答えが得られるはずがありません。
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