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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

問題はこういう構造

2012年06月02日 | xx9 生きるという生き方

Psychewaterhouse 人はだれも自分だけが知っている自分の心がある、という理論があるから、私の本当の心はどこにあるか、という哲学的疑問が出てくる。人にはその人だけの人生がある、という理論から、現実に生きる私の人生の意味は何か、という疑問が出てくる。そういう理論ができてしまったからこういう哲学的問題が出てきてしまった。問題はこういう構造になっています。

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皆がそう思っている

2012年06月01日 | xx9 生きるという生き方

そういう理論として、人はだれも自分だけが知っている自分の心がある(拙稿第2部8章「心はなぜあるのか?」)、とか、人にはその人だけの人生がある(拙稿22章「私にはなぜ私の人生があるのか?」)、とかを問題にする考えがあります。私たちはそれが当たり前だと思い、別にそれが理論であるとは思っていません。しかしこれらは皆がそう思っているというだけの理論でしょう。そのような理論の中から、私の本当の心はどこにあるか、とか、この現実に生きる私の人生の意味は何か、というような哲学的疑問がでてくる。

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理論を語る

2012年05月31日 | xx9 生きるという生き方

Psyche_opening_the_door_into_cupids 私たちが現実について語るとき、日常会話、世間話、仕事上の会話、政治、科学、神学その他すべてのコミュニケーションや言語表現は、このように共有する現実の上に作られた種々の理論について語り合っている、といえます。

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便利な身体を持つ

2012年05月30日 | xx9 生きるという生き方

逆に言えば、仲間が感じ取っているはずの現実をそのまま現実として感じ取るように作られた身体を持っていることが、人類が緊密な社会を維持し生存繁殖するために大いに便利であったから、私たち現代人は、そう感じ取る身体を持っている、と考えることができます。

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錯覚することで成功

2012年05月29日 | xx9 生きるという生き方

Peristyle 私たち人間は、身体が感じとる現実世界の存在感、あるいは実在感、という錯覚に惑わされるように進化したおかげで繁殖に大成功した動物です(拙稿第一部 哲学はなぜ間違うのか・第4章「世界という錯覚を共有する動物」 )。私たちは、身体が感じ取る身の周りの物事の存在感を手がかりにして、仲間とそれを共有することで客観的現実世界全体を感じ取り、さらにその上に言語を作り上げ、言語を使って文化を作りあげることで、皆で共有する現実世界を安定化し、そこにいろいろな理論を作って日常生活に使っています。

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